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届きえぬ想い、
       叶えがたき願い

序章

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章

第六章

終章



 ……遥か昔、至高神と竜神の間で激しい戦いがあった。
 辛うじて勝者となった至高神は敗者である竜神を歴史の影へと追いやり、世界を自らの統治する理想郷としたのである。
 しかし、それでも。たとえ影に埋もれても敗者は復仇の時を忘れない。
 時代は移ろい、至高神の勝利を祝う祝日を前にして、ついに竜族の戦士が行動を起こした。

終章

 その日、“大いなる天空の神殿”は何時にも増して緊張感の漂う空気に支配されていた。
 無理もない。特命によって戦乙女が一同に介する事など久しぶりの出来事であったし、その内容が新たな戦乙女の就任であると聞いていれば、皆が緊張するのも無理はない。

「……ここに、我らが主、イシス・ハーン様に仕える二名の戦乙女が誕生した事をご報告致します」
 イシス・ハーンに、フォルシアはそう報告した。その背後には膝ま付き、顔を下に向けた二人の女性が控えている。
「戦乙女アルファ、そして戦乙女セルファ……」
 フォルシアが報告を終え、横に控えるのを見届けてから、イシス・ハーンは目前に控える二人にゆっくりと声を掛けた。
「そなた二人は、セレスの推薦を受け、フォルシアの試練を果たした強者であると伝えられています。この時期に二人の戦乙女が加わるのは非常に心強く、また嬉しく思いますよ」
 そこまで言ってから、やや口調を変えてイシス・ハーンは言葉を続けた。
「ですが、ここで最後に確認しておきます……戦乙女アルファに戦乙女セルファ。貴女達は、今後私の忠実な部下として仕え続ける覚悟は出来ていますか? その意志が無い者に、戦乙女の地位を授ける事はできません」
 イシス・ハーンの言葉が終わると同時に、二人は顔を上げた。
「……我が命は、主の命と共にあります。この身体朽ち果てるその時まで、私はイシス・ハーン様の忠実な部下でありつづけるでしょう」
「うちも同じや……未来永劫、死がうちの身体を打ち砕くその日まで、主の忠実な部下でありつづける覚悟や」
 二人の返事を聞いて、イシス・ハーンは満足そうに頷いた。
「宜しい……今、この瞬間から貴女二人は名誉ある戦乙女の一員です。今後の活躍を期待していますよ」
 イシス・ハーンの言葉に軽く一礼してから、二人が居並ぶ戦乙女の末席に並ぶ。これで七人の戦乙女が揃った事になる。
 もっとも、戦乙女の定員は九名と定められているのだから、いまだに定員割れしている現状に変化はないのだが……。

 一同が解散し、広間にはフォルシアとセレスの二人だけが残っていた。
「全てはあなたの思い通りに進んだわ……竜族は今後も不干渉の姿勢を貫くでしょうし、地上の連中に関しても、当面は混乱から抜け出せずにおたおたする事になるわ」
 そして次はどうするつもり? そう問いたげな口調でセレスがフォルシアに声を掛ける。
「貴女が目指す多派鼎立状態は、これで一応の完成を見たわけね」
 セレスの言葉に、フォルシアは僅かに微笑んで見せた。
「今回は悪役を演じて貰ったわね……何しろ他に適役も居なかったし、あまり悪く思わないで欲しいわね」
 その言葉に、セレスが軽く肩をすくめる。他に言いたい事もあったが、取り敢えず下手に出られては、あまり深く追及する事もできない。
「だけど……まだ不充分ね……」
 そんなセレスの様子には構わず、難しい表情を浮かべたままフォルシアが呟いた。
「真にイシス・ハーン様の治世を安定させる為には、まだまだ制御可能な“敵”の存在が欠かせない……竜司教ゼファー・セイレーンは、状況を利用する腕に長けているわ。このまま黙っている筈がない」
 そんなフォルシアの様子を、セレスが興味深そうに眺める。いや、実際に彼女は興味深く感じていた。かつて自分が属していた陣営に対して、彼女はどんな思いを持って対しているのだろうか? 非常に興味深い問題だ。
 いや、そもそも何の理由があって、彼女は戦乙女の道を選んだのだ?
(そういえば……一度だけ聞いた事があったわね……)
 確か、まだフォルシアが戦乙女として選出されたばかりの頃、確か彼女はこう言っていた。
「私は信仰によって全てを失った……だから、私は信仰の無い世界をつくる」
 正直言って、フォルシアの真意がどこにあるのか、これだけでは判断できない。額面通りに受け取れば、これは主に対する一種の冒涜とも思える。
 しかし、問題はそんなに単純ではないだろう。
 フォルシアがイシス・ハーン様に対して揺るぎない忠誠心を持って尽くしている事は、あのディアーネでさえ否定できない現実だ。そうである以上、あの言葉をそのまま額面通りに受け取る訳にもゆかない。
 そして彼女が唱える多数派鼎立世界。口にこそしないが、フォルシアはイシス・ハーン様一人による独占的支配体体制の成立を避けている。飽く迄も多数の価値観が共に成り立つことによって世界を維持するべきだと考えているのだ。
 至高神に仕える戦乙女としては、随分と特殊な思考である事に間違いはない。
(優秀な部下にして、その覇権確立を妨げる最大の癌……)
 思えば、その二面性に興味を持ったからこそ、自分はあっさりと戦乙女の長の地位をフォルシアに明け渡したのだ。この風変わりな女性が考えている事、そして成そうとしている事、その両方にセレスは強い興味を持っていた。
「……それにしても、今回のやり口は些か強引過ぎるきらいがあったと思うけど? 貴女の言う理想世界実現の為とはいえ、少々やりすぎだったのではないかしらね」
 やや気を取り直し、セレスはフォルシアに質問の言葉を発する。
「万が一にも、真相がディアーネ辺りに漏れるような事があれば、一大事程度の騒ぎでは済まないと思うのだけど?」
 当然と言えば当然の懸念を示したセレスの問いに、フォルシアはゆっくりと答えた。
「あの二人は、いずれ人間界で無視する事の出来ない強大な存在となりうるわ。私は自らの務めに従い、未然にその可能性の目を摘み取っただけの事……ディアーネがどう思うと私の考慮する事ではありません」
 どこか能面じみた表情と口調に、セレスは僅かに目を細めた。
「まぁ……そういう事にしておきましょうか。さて、それはさておいて」
 言葉と同時に、セレスは腰の長剣の柄を軽く手で叩いた。
「もう聞いていると思うけど、あの“高貴なる紅き女神”に、第二神聖軍が殲滅させられたわ」
「あぁ、調停神シェード……オデッセイの件ね」
 フォルシアは軽くため息を漏らす。神聖軍といえば、四つの神聖騎士団と七つの神衛戦士段によって構成される軍単位である。その兵員数は一万を超えようという程の規模だ。
 それが調停神オデッセイ、いやシェードの手によって文字どおりの殲滅……即ち皆殺しの憂き目を見たのだ。もともと知っていた事とはいえ、調停神シェードの戦闘力の高さには背筋が寒くなってくる。
「もともとは愚かにも地上の連中が天空に無許可で起した兵だけに自業自得と言うものだけど……」
 ここから先が重要だとでも言いたげにセレスが言葉を強める。
「きっかけはどうであれ、結果は結果。これを放置しておけば、我らに報復能力がないと世間に錯覚させる結果にもなりかねないわ。一体、どうするつもり?」
 セレスの質問は、実に頭の痛くなる現実を端的に示していた。調停神シェードは、その名前が示している通り、かなりの執行力を持つ神性である。その実力は『戦闘面に限定される』とはいえ、並み居る神性の誰よりも秀でている。
 その点では主であるイシス・ハーンも調停神シェードには到底及ばない。
「どうするもこうするも……現実問題として、今の我らに調停神シェードと戦いうる力などない」
 返答を促すセレスの視線に、フォルシアはきっぱりと断言した。
「また我らが主も、かつての戦いの痛手から充分に復帰しておられるわけではない……今調停神シェードに戦いを挑んだ所で、こちらの方が死屍累々たる惨状を呈するだけのこと」
 そこまで言ってから、フォルシアは軽くセレスを睨みつけた。
「それとも貴女は、敢えて調停神シェードに勝利の美酒を献上しようとでも?」
「……大した現実的判断だこと」
 言葉ほど感銘を受けているとは思えない表情で、セレスが言葉を続ける。
「それに言い難い事をはっきりと断言するし……敵に勝てないというのであれば、何をもってして我らの存在価値は肯定されるのかしら?」
「いくら我らが“戦”の文字を掲げる存在であるとはいえ、何も全てを戦いによって解決する必要もあるまいでしょう」
 些か苦笑じみた表情を浮かべながらフォルシアが言葉を続ける。
「確かに我らは武力によって調停神シェードに勝る事は出来ない。しかし、我らは調停神シェードが持ちえぬ強大な政治力を有している」
 その後に続く言葉は、まるで出来の悪い生徒に言い聞かせるようなニュアンスだった。
「飽く迄も調停神シェードが武力を持って我らが主に立ち向かうというのならば、我らはその強大な政治力を活かすだけのこと……いかな調停神シェードと言えども、この世界そのものを滅ぼしさる事はできないのだから……」
 そこまで言ってから、何かを考えるかのようにフォルシアは僅かに口を閉ざす。やがて何か良い手段でも思いついたのか、再び口を開いた。
「取り敢えず、レディ・クラインクレインに使者を立てる事にしましょう……新任の二人にはぴったりの初任務でしょう」
「……クラインクレインに?」
 セレスの返事が消極的な反対である事は、その表情を見れば一目瞭然だった。
「結局のところ、現時点で調停神シェードの行動を掣肘出来るだけの何かを持っているのは、あの何を考えているかもはっきりしない女性だけ。打てる手は全て打っておいても、間違いはないでしょう」
「調停神ラルの方は?」
「そちらの方は、当面放置しておいて問題は無いでしょう。不出来な妹とは違い、守るべき道理をわきまえているわ」
 フォルシアの返事を聞いて、セレスは大仰に頭を振って見せた。
「仰せのままに手配しましょう……まったく、貴女が戦乙女の頂点に立って以来、どうも与えられる任務があまり気の進まない物ばかりになった気がするわ」
「気に入らないかしら?」
「気に入らないわね……それが常に正しい結果をもたらしていると思うと尚更ね」
 短いフォルシアの問いに、セレスはため息混じりに答える。
「たまには間違えた判断の一つも見せてくれないと、とても馴染む気になれないわ。主は貴女を“黒き乙女”と呼ぶけど、シンキングマシーン“黒き頭脳”とでも改名した方がいいかもしれないわね」
 セレスの言葉に、フォルシアは彼女には珍しい薄い微笑みを浮かべた。
「……誤った判断は、結局自分とそれに関わる全ての者に不幸な結果だけをもたらすわ……この地位にある限り、私は判断を誤るわけにはゆかない」
「……大した責任感だこと……」
 話は終ったとでも言うように、フォルシアに背を向け広間の扉に歩きよりながらセレスが言葉を続ける。
「だけどね、後で失敗を償う為に私たちはここに集っている……たまには仲間を信じてみなさいな」
 大きな軋み音をたてながら扉が開き、そして閉じられた。
「……せめて副官である私ぐらいわね」
 その音の中でもセレスの最後の言葉は、間違いなくフォルシアの耳に届いていた。
「仲間、か……」
 一人残されフォルシアは、自嘲的な笑みを浮かべながら天上を仰ぎ見た。そこには天地創造から遠き未来に至るまで、彼女らの主が紡ぎだすてあろう未来を意匠化したレリーフが彫られている。
 今の自分が、そのどの部分に刻まれているのかは分からない。もしかしたら彫られていない可能性もある。
「貴女だからこそ、巻き込みたくないのよ……」
 レリーフから目を降ろし、自分も出口の扉に向かいながらフォルシは小さく呟いた。
「私の愚かな復讐に貴女まで巻き込む事はできないのよ、セレス……いつか、貴女は私の代わりに戦乙女を統べなくてはならないのだから……」