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届きえぬ想い、
       叶えがたき願い

序章

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章

第六章

終章



 ……遥か昔、至高神と竜神の間で激しい戦いがあった。
 辛うじて勝者となった至高神は敗者である竜神を歴史の影へと追いやり、世界を自らの統治する理想郷としたのである。
 しかし、それでも。たとえ影に埋もれても敗者は復仇の時を忘れない。
 時代は移ろい、至高神の勝利を祝う祝日を前にして、ついに竜族の戦士が行動を起こした。

第四章

 それは一人の若者だった。背の高いどちらかというとスラリとした体格の持ち主。その右手には血まみれの長剣が、その左手にはくすんだ光を放つ球体が握られている。
(イシスの……聖印……?)
 それが奪われたアーティファクトである事に疑いはない。本来なら目映いばかりの輝きを放っている筈のアーティファクトがくすんでいるのは、何か魔法的な手段でローケイトの魔術を封印しているからだろう。
 その若者は何とも哀しげな色の浮かぶ瞳でじっと一点を見つめている。その色は大きな悲劇を前に、何もする事ができない己が無力さを悔やんでいる。
 そしてその視線の先で、踊るように蠢く真紅。その正体はわからないものの、何か無気味なものを感じさせるに充分だ。
(なぜ……? 彼は自分のやった事を後悔してるとでも言うの?)
 理解出来ない。彼は何を悔やんでいるのだ?
 至高神へ逆らった自分の行いを?
 自らの犯した罪の重さに?
 それとも、この先自分が負わねばならない罰を恐れて?
(違う……あれは自らの境遇を悲しんでいるのではない……自らが招き寄せてしまった他者への境遇を哀しんでいる)
 明かに彼は自分の犯した罪によって、他人が傷つく事を哀しんでいる。そしてそれを招き寄せた自分の愚かさを悔やんでいるのだ。
(あなたは……一体誰なの? その哀しげな瞳は、一体何を訴えようとしている?)
 思いは言葉にならず、心の中にこだまする。この世界では、一切の音が存在しえない。
(そんなに悲しげな瞳を持ちながら、あなたは何故罪を犯してしまったの?)
 勿論答えは返ってこない。
(あなたは一体何を望んでいるの……)
 不意に視界が白い輝きの中に飲み込まれる。それは目覚めの瞬間を示す前兆。
(………!)
 最後の瞬間その目映い光の中に、確かに若者とは別の影それも女性の姿が写っていた。

「可能性は、たった一つしかないわ」
 セルシア相手にアルシアはきっぱりと言い切った。
「これだけ徹底した捜索にも関わらず、犯人はおろかその隠れ家さえも見つからない。つまり、犯人はもともと隠れてなんかいないのよ」
「はぁ……?」
 きっぱりと言い切ったアルシアに、セルシアは露骨に不審の瞳を向けた。
「隠れてないって……せやったら、なんで犯人はみつからへんの? まさか、もう既に逃げ去った後や言わんやろね?」
 セルシアの不審も無理はない。アルシアの言葉は余りにも突飛で、しかもとても素直に受け入れられるような物ではなかった。
「もしもや反抗後すぐに逃走したとしても、到底逃げおおせたとは思えへん。少なくとも、この件に関しては法院もまぁ、珍しく迅速に対処したワケやで」
 確かに一事が万事何をするにもお役所仕事と化している今の法院から考えれば、これはもう奇蹟とも呼べる対応の速さだった。まぁ、それだけ事が重大だったという事だろうが。
「この厳重な警戒を突破して、まんまと逃げおおせたとは私も思わないわ」
 苦笑混じりにアルシアが答える。
「犯人は確かにこの街の中にいる……ただ、皆が考えているように犯人が暗がりの中に脅え隠れているとは限らないという事よ」
 犯罪者は暗がりに身を潜める。それは確かにパターン化された行動であり、多くの犯罪者がたどる道である。そう、普通の犯罪者なら。
(問題は、果たして至高神様のアーティファクトを盗み出そうなどと企む者が、果たして普通の犯罪者と呼べるのかしら)
 その思考という行動力といい、とても常人の物とは思えない。
(これほどの行動を起こす者が、果たして誰でも思うような単純な行動を起こすかしら?)
 アルシアの脳裏に、かつて自分がセルシアに言った言葉がよぎる。
「それに淡水も塩水も、混ざってしまえば区別のつけようがなくなるしね……」
 そう、犯人がうまく混ざりこめる程に頭の良い人物だとしたら……果たしてどんな行動を取るだろう。
(どれほどうまく立ち回っても、その身を完全に隠し通す事など出来ない。必ずどこかに無理や破綻が起きる。それを起こさない為には、初めから無理や破綻が起きぬようにすれば良い。要は不自然な行動を避け、最低限の秘密を隠して自然な行動を取れば良い。
 そして、この街で犯人がとれる最も自然な行動は?
(犯人が部外者である事に間違いはない)
 その事に確信はある。この街にそんな不届き者がいる筈もないという一般論はさておき、衛士を殺害するような行動に至っている点が内部犯行の可能性を否定している。もし内部に犯人が存在するのならば、もっとスマートなやり方があった筈だ。
 もちろん、それが外部の犯行に見せかける為に内部の者が敢えて行なったというのであれば話は別だが。もっとも、彼女としてはそんな可能性など考慮したくもないしする気もない。
「この街で部外者が自然に振る舞える場所なんて、そう多くないわ」
 アルシアはくるりと背を翻す。
「行くわよ、セルシア」
「ちょ、ちょっと待ってぇや……行くって一体どこに?」
 あわててセルシアがアルシアの後を追う。
「巡礼者礼拝堂よ」
 セルシアの問いに、アルシアは短く答える。
「多分、犯人はまだそこにいるわ」
「巡礼者礼拝堂ぉ?」
 素っ頓狂な声を上げながらセルシアはアルシアの肩を掴んだ。
「んな場所、いの一番に調べられとるがな。もし犯人が居たとしたら、とうに捕まっとるがな……」
 疲労の余りついに思考がマトモじゃなくなったのだろうか? そんな疑問さえセルシアの脳裏に走る。
 それとも、それこそが夢見師とやらの力なのだろうか……?
「……衛士達が調べたのは、飽く迄も彼らが思うところの怪しい人物よ。私が捜している者とは違うわ」
 セルシアの疑問に気付いているのかそれとも気付いていないのか、まったく取り合う様子もなくアルシアは軽くセルシアの手を軽く振りほどいて歩きはじめる。
「木の葉を隠すには森の中……だけど賢者ならば木の葉を隠す場所として選ぶのは、自然の森でなく家の庭先か路地端の茂みでしょうね」
「はぁ?」
「いいから行きますよ……それとも置いて行きましょうか?」
 煙に巻かれた表情で戸惑っているセルシアを脇目にアルシアはスタスタと先へと歩きだした。

「……で、こんな場所でいつまで至高神の盲信者と仲良くじゃれあってるつもりなの?」
 明るい陽射しの差し込む長い踊り通路を眺めながら、レイチェルが半ば呆れたように口を開く。
「確かに地下深くの陰湿な竜神殿に比べれば、ここは天国のような場所ね……思わず長いしたくなる気持ちも解らなくも無いけど……」
「この光の恵みを素直な感謝の気持ちで受け止める事が出来ぬというのも、我ながら許し難い物だな」
 レイチェルの言葉に答える風もなく、ミッチェルは呟く。
「これも闇の領域に追込まれた我が身を、ただ呪う後ろ向きな姿勢が故なのかもな……」
「兄さんに、詩人の素質があるとは思えないわね」
 ミッチェルの側に腰を降ろしながら、レイチェルが口を開く。
「でも、そうかも知れないわね……例え大いなる欺瞞の上に成り立つ虚構の世界であるとしても、ここは私達には余りにも平和過ぎるわね」
 二人の前を通りがかった神殿ボランティアの少女が、にこやかな笑顔と共に香茶のポッドを差し出してくる。慌てて笑顔を浮かべながらレイチェルはそのポッドを受け取った。
「ここは初めてですよね? どちらからおいでになられらんですか?」
 かわりに空のポッドを受け取りながら、少女が人懐っこい笑顔を向ける。とても遠くからおいでのようですけど」
「あ……あぁ。ルクセンバード市の方から……」
「まぁ」
 笑顔に釣られるように答えたミッチェルの言葉に、少女が目を丸くする。
「そんなに遠くの場所からこられたんですか? 大変だったでしょう」
 確かに大変な距離である。このヴァリア・ポリスは“西の大陸”のほぼ北西の位置にあるのに対し、ルクセンバード市は東海岸にある。その間にフェーンバード市やファインアート市、ユーニス・アーレイ市等の大都市をいくつも挟んだとてつもない遠距離だ。少女が驚くのも無理はない。
「この礼拝堂は、信者の皆様に平等に開放されています。ゆっくりと休んでいってくださいね」
 そう言うと、少女は空のポッドを持って軽やかな足取りで去っていた。後には二人だけが残される。
「……ここにいると、なんだか自分がとても卑小な存在に思えてくるわね」
 レイチェルがため息混じりに呟く。
「兄さんは本気でこの体制をひっくり返せると思っているの?」
「………」
 ミッチェルは何も答えない。無言のまま立ち上がり、どこか余所へと歩き去って行った。
「本当に、出来るの……?」
 誰もいなくなった空間にぼんやりと呟き掛けながらレイチェルはポッドの香茶をカップに注ぐ。決して高級品ではないだろうが、まだ温かい香茶の湯気と香りが心地よい。
「確かに兄さんの立てた計画は万全かもしれないけれど……実行段階で躊躇いが産まれては成功は覚束ないわよ」
 香茶を一気に飲み干してから、レイチェルは軽くため息をつく。
 そう……どれほど立派な計画でも、それは実行されない限り単なる空論に過ぎない。そして兄さんは計算を誤っている。彼女にはそれがわかる。兄は自分自身で思っている程に冷酷な人間ではない。そもそも、この計画は無理だったのだ。
「最後の晩餐が、憎むべき至高神の手先と一緒だとはね……」
 空になったカップを、レイチェルは静かに置いた。
 何とも笑えない皮肉な光景。伝説や神話の中にさえこれほど滑稽な逸話は存在しないだろう……。
 だがまぁ、それもまた一つの運命だ。どうせ長生きした所で自分達に日の当たる時代など、この世界では永遠にあり得ないのだから……。

「くそっ……今更オレは何を迷っているんだ!」
 誰もいない通路の影で、ミッチェルは壁に向かって激しく自分の拳を打ちつけた。少々力を入れすぎたのか、拳の皮からうっすらと血が滲み出ている。
 明日には脱出の為の行動を起こさねばならぬというのに、この期に及んで迷いが産まれるとは……我ながらどうかしてしまったとしか思えない。
「こんな事では、明日の計画は到底成功しやしない……!」
 オレは一体何を動揺しているのだ? 脱出計画を実行すれば、至高神の眷属どもに更なる打撃鵜を与える事も出来るし、我が身の安全も確保される。まさに一石二鳥の技ではないか。
 だというのにこの躊躇いは一体……。
「……結局の所、あんたは自分の冷酷さを高く評価し過ぎていたわけよ」
「!」
 不意に背後から超えをかけられ、ミッチェルは慌てて後ろを振り返った。
「良くも悪くも、あんたは戦士に過ぎない……分不相応なジェノサイドなど、初めから企むべきではなかったわね」
「あ、あなたは……」
 声が上ずるのもやむを得ない。目前に立っている人物は自分よりも遥かに高位の存在、つまり竜騎士だったからだ。
「カルラ様……」
 竜騎士カルラ・ゲインズ・ラディッシュ。その名前は竜戦士にとって特別以上の意味があった。
 かつて人間の戦士カオス、調停神シェードと共に戦い、至高神イシス・ハーンの力を大きく削ぎ取った強者。その功績を持って竜騎士に任じられながらも、無条件で竜神に従う事ない誇り高き騎士。
 その名は真の竜騎士として歴史に深く刻まれている。
「カルラ様、ねぇ……」
 ラディッシュは軽く頭を掻いた。
「その呼び方されるのは、あまり好きじゃないのよ。せめて“ラディッシュさん”と呼んでくれないかしら?」
 呼び捨てを頼んでも絶対に断られる(竜戦士と竜騎士は厳格な階級制度で区別されている)事はわかり切っているので、せめての妥協案をラディッシュが口にする。
「堅苦しい形式は、どうにもやり難いのよね」
「わ、わかりました……ラディッシュさん」
 ミッチェルにしてみれば余計にやり難いのだが、敢えてそれを受け入れる。どのみち竜戦士であるミッチェルに竜騎士の言葉に逆らう自由は無い。
「ところで、こんな場所におられると言うことは、オレ……いえ、私の計画に協力してくれるのですか?」
 ミッシェルの言葉に、ラディッシュは軽く鼻で笑った。
「手伝う? おかしな事を言うわね。なんだってこの私があんたの売名行為の手助けなんかしなくてはならないのかしら?」
「………」
 突き放すようなラディッシュの言葉に、ミッチェルは顔を背けた。
 確かにその通りだった。ミッチェルは自分がのし上がる為の最初の一歩としてこの行動を起したのだ。
「気持ちはわからなくもないけど、ゼファー=セイレーンの許可無しにと言う点は頂けなかったわね……まぁ、どちらにせよ起こしてしまった事は仕方が無いわ」
 そこまで言ってからラディッシュがミッチェルに厳しい視線を向ける。
「私は、単なる見届け人よ。あんたに本当に今回の行動を最後まで完遂する能力と覚悟があるならば、竜騎士の地位も夢ではないわね。しかし、それができなければ……」
 その続きは言われるまでも無かった。
「まぁ、精々頑張りなさい。もっとも、私が見たところあんたは自分の能力を超えている事に手を出したとしか思えないけどね」
 ラディッシュは軽くミッチェルの肩を叩いた。
「それが違うというのならば、言葉ではなく行動でそれを証明する事ね」
 言葉ではなく行動。それが竜族に連なる者の鉄則だった。

 巡礼者礼拝堂。それは遠方からこのヴァリア・ポリスに巡礼に訪れた者を収容する為の総合施設である。名前の通り巨大な礼拝堂であると同時に簡易宿泊施設としての機能を併せ持っていた。
 運営は主に神殿ボランティアによって支えられており、礼拝者は誰でも無料で施設を利用する事が出来る。穿った見方をするならば、巨大な至高神の宣伝センターと呼ぶ事も出来るだろう。本心がどこにあるにせよ、少なくとも至高神神殿の気前の良さを証明する事は出来ているのだから。
 その入り口で、アルシアは受け付けの女神官と話していた。
「つまり、怪しい人物は一人もいないというわけですね?」
 アルシアの質問に、女神官は軽く頷く。
「はい。神殿衛士の皆様方にも説明しましたが、皆様とても熱心な信者の方です。とてもそんな大それた事をするような方がいるとは思えません」
 女神官の返事に、アルシアは軽くため息をつく。それは、見るからに怪しい人物などいないだろう。だからといって全員を善良な信者と楽観視するのは頂けない。犯人だって用心しているのだから、簡単にボロを見せる筈もない。
「……こんな信者の方達を疑うなんて、神もお嘆きになりますよ」
「有り難う……もういいわ」
 アルシアは女神官に軽く礼を言うと、そこで話を切り上げた。はなから期待していなかったとはいえ、これは酷すぎる。これほど不特定多数の人間が出入りする場所に勤めている者としては、余りにも危機管理意識が低すぎる。もっとも、ここでそれを追及しても始まらないのだが。
「どうするんね? 一人一人虱潰しに当ってゆくん?」
 どこかやる気無さそうにセルシアが口を開く。まぁ、それも無理は無いだろう。そもそもここに犯人が潜んでいるという事さえセルシアは信じていないのだから。
「………」
 セルシアの言葉にアルシアは耳を貸さず、まっすぐに礼拝室を進んでゆく。
「なぁ、無駄足になるだけやん。他所行こうやん」
「……セルシア、悪いけど少し黙っててくれる」
 幾分苛ついたようにアルシアが言う。普段の温厚な彼女の姿しかしらない者が見たら、ギョッとするに違いない。
「この件に関しての全権は私の手にあるのよ。悪いけど貴女の言葉に耳を貸してるゆとりはないわ。それに私が捜しているのは、単に怪しい人物じゃないわよ」
「………」
 厳しいアルシアの言葉に、流石のセルシアも沈黙を余儀なくされる。これほど厳しい姉の姿を見たのは初めてだった。
(この中に居る筈……夢でみたあの男は絶対に、この中に……)
 自分が見る夢には、必ず重要な意味がある。夢見師の見る夢が無意味である事などあり得ない。その若者の顔をはっきりと覚えているわけではないが、あの強烈なイメージだけは忘れない。忘れる筈もない。
「………!」
 ふとアルシアの横を、髪の長い女性が通り過ぎる。奇麗な金長髪の美人だ。アルシアの視線には気付いた様子もなく、そのまま先へと歩みさって行った。
「どしたん?」
 不意にアルシアが立ち止まったのを見とがめてセルシアが声をかけてくる。
「いえ……なんでもないわ」
 アルシアは僅かに頭を振る。どこかで感じた感覚のような気がするのだが、思い出すことが出来ない。あるいは錯覚だったのかも知れない。多分、そう考えておくのが正解だろう。
 取り敢えず今はすれちがった女性を記憶から追い出す事にする。もし何がしかの重要な人物であれば、そのうちに思い出す事もあるだろう。
 それよりも今は、目的の若者を捜し出す事の方が先決だ。それが今の彼女に与えられている使命であり仕事なのだから。
「お、なんや丁度ええやんか」
 更に奥に進んでいる最中、反対側から歩いてきた神殿ボランティアの少女に気付いたセルシアが声をかける。目ざとい彼女は、少女が手にしていたポッドを見落とさない。
「なぁ、そのポッド……良かったら一杯わけてくれへん?」
 セルシアの言葉に、少女は申し訳無さそうな表情で答える。
「あぁ、ごめんなさい。このポッドは空なんです。先程、ルクセンバード市からおいでになったという信者の方のものと交換したばかりなんです」
「あら、そりゃ残念やね」
 未練が残る視線を向けながらセルシアが軽い落胆の表情を浮かべる。まぁ、いくら残念がった所で、物理的に無いものはどうしようもないのが……。
「ルクセンバード市?」
 あまり聞き慣れない珍しい都市の名前を耳にして、アルシアが顔を向ける。確かにこの街には実に様々な地方から巡礼の信者達が訪れる。しかし、それにしてもルクセンバード市とは……。
「その人はどちらに?」
 アルシアの質問に少女は僅かに考える様な仕草を見せてから、思い出すように答えた。
「えっと……先程はあちらの奥まった一角に、お二人でいましたよ。黒色のマントを羽織ってられましたから、すぐにわかると思います」
 アルシアの首に下がっているペンダントすなわち法院全権者の印に気付いたのか、身体を固くしている。無理もない、法院全権者はボランティアの少女から見れば天空の神にも等しい存在なのだから。
「二人?」
 再び考え込むような仕草を見せてから、少女は再び口を開いた。
「はい、多分……ご兄弟だと思いますけど、もしかしたら恋人さんなのかも知れません」
「有り難う、とても参考になったわ」
 アルシアの言葉にペコリと一礼してから、ボランティアの少女は去って行った。その後ろ姿を名残惜しそうに見送ってから、ふとセルシアは何かに気付いたようにアルシアに言った。
「なぁ、アレがそれやないんと違う?」
 セルシアの言葉の方向にアルシアが視線を向ける。その視線の先には黒マントを羽織った一人の男が見える。どうやら通路に出ていたらしい。何とも釈然としない表情を浮かべたままこちらの方に歩いてくる。黒いマントといい奥へ向かう足取りといい、どうやら間違いないだろう。
「ちょっと、いいでしょうか?」
 男が脇を通り過ぎようとした瞬間、アルシアは丁重な言葉で男を呼び止める。
「なんでも随分遠くからおいでになられたそうですね……宜しければ、少しお話しを聞かせて貰えませんか?」
 アルシアの言葉に男は一瞬ギョッとした表情を見せる。だが次の瞬間には何事もなかったような平静な表情を浮かべながら答える。
「これは、これは……話すのは一向に構いまわないが、こちらも少々疲れているのでね……出来るだけ手短にお願いするよ」
 男の言葉に、アルシアもにこやかに答えた。
「いえ、なんでもルクセンバード市からおいでになられたそうで……そこで、そこにある有名な史跡についてお訪ねしたいと思ったのですよ」
「有名な史跡?」
「えぇ、ルクセンバード市には何か竜神にまつわる史跡があると聞いた事があるのですけど」
 不思議そうな表情を浮かべる男に、アリシアが言葉を続ける。
「なんでもかつて竜神ジェノヴァが、自らに従う者達に永遠の真実を説いたと伝えられる物だったらしいのですけど……」
 その言葉に男は僅かに考えこむような表情を見せ、やがてゆっくりと答えた。
「あぁ……“ドラゴンズ・モニュメント”の事か」
 思い出したかのようにミッチェルと名乗る青年は軽く手を叩いた。
「確かに昔はそんな物もあったが、至高神殿が勝利した際に破壊されたよ……神殿関係者が、ご存じ無かったとはね」
 言葉の最後は質問というよりは不審だった。
「……そういえば、そうでしたね」
 アルシアが短く答える。
「ここで会えたのも何かの縁ですね……お名前をお聞かせくださいますか? 私は最高法院に務める下級神官、シュールド・アルシア・ファーレインと申します」
「……ミッチェル・サーフォード」
 ぶっきらぼうな男の言葉に、アルシアは僅かに微笑んでみせた。
「どうも遠方よりのお客様を、わざわざ呼び止めて申し訳ございませんでした。どうぞごゆっくりお休みください……」
 丁重に一礼してからアルアシが男に道を譲る。一瞬なにか言いたげな表情を見せたものの、結局無言のまま、ミッチェルと名乗った男は去っていった。
「……セルシア。どうやら、もう一人の女性とやらの方も捜す必要がありそうね」
 アルシアはセルシアにがそっと耳打ちする。
「多分……いいえ、私の想像に間違いが無いとしたらかなり面倒な事になるに違いないわ」
「面倒なこと? そりゃまた、穏やかなさそうやねぇ」
 やれやれとでも言いたげな表情で、セルシアが首を振る。
「しっかし、捜すのはかまへんけど、アレが姉さんの捜してる相手とは限らへんような気がするんやけどなぁ……」
 セルシアの言葉に、アルシアはきっぱりと断言した。
「間違いないわ。あのミッチェルとかいう男、例え直接の犯人じゃないとしても無関係はないわ。追及する価値はあるわね」
「なんでまた、そうはっきりと言い切れるんかいな……?」
 姉の特殊な才能についてある程度の理解があるとはいえ、やはり素直に納得は出来ない。
 そもそも一見の相手を、なんだって自信を持って犯人だと断言出来るのだろう? 夢見師と占い師は全く別物だろうに。
「あなたはきっと、私が何か特殊な能力でも使ったんだと思っているんでしょうけど……」
 アルシアは彼女には珍しい悪戯っぽい表情で、軽くウィンクしてみせた。
「これには、ちゃんとした確証があるのよ。別に超自然的な何かに頼ったわけではないわ」
 セルシアの内心の疑問を見透かしているかのようにアルシアは言う。
「あの男は、自分からボロを出してしまったのよ。まぁ、私の誘導尋問に引っかけられたみたいなものだけどね……」
「???」
 セルシアが首をひねる。ますます解らない。一体、あの男がボロとやらを出したのだろうか? いや、それよりもいつ誘導尋問なんかをしたのだろう?
「ともかく急がないと」
 これ以上セルシアの疑問に付き合うつもりはないらしく、少々急かすようにアルシアは続けた。
「放っておくと、本当に大変な事になりかねないわ……出来るだけ早くもう一人の女の方を見つけ出さないと」
 それが無理な注文である事は、他ならぬ彼女自身が一番良く知っていた。