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届きえぬ想い、
       叶えがたき願い

序章

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章

第六章

終章



 ……遥か昔、至高神と竜神の間で激しい戦いがあった。
 辛うじて勝者となった至高神は敗者である竜神を歴史の影へと追いやり、世界を自らの統治する理想郷としたのである。
 しかし、それでも。たとえ影に埋もれても敗者は復仇の時を忘れない。
 時代は移ろい、至高神の勝利を祝う祝日を前にして、ついに竜族の戦士が行動を起こした。

第一章

 その日、大いなる神々の主であり、この巨大な帝国の実質的支配者であるイシス・ハーンは不機嫌の極みにあった。
 無理も無い。あろうことか自分のお膝元とも呼ぶべきこの場所で、よりによって自分の勝利を盛大に祝うべきアーティファクトが盗みだされたのだ。普段は温厚な神性として振る舞っているイシスハーンといえども、笑って許せるほど甘い事態では無い。
 怒りに任せて警備責任者数名を処刑し、それに連なる幾人かの神殿関係者に降格人事を言い渡したものの、それで盗まれた物が戻ってくるわけではない。
 それどころか、時間が立つにつれて自分の大人げ無いとしか言えぬ関係者への処罰についての自己嫌悪まで加わるのだから始末に負えない。言ってしまえば責任の大半が、あのアーティファクトをわざわざ監視の甘い神殿展示室へ移送するように命じた自分にある。銀竜山脈の頂の遥か上空に位置し、選りすぐりの戦乙女と神戦士によって守られているこの神殿に収めたままにしておけば、そもそも今回の騒ぎも起こらなかった筈。
 結局の所、大いなる神イシス・ハーンは自らの感情の高ぶりを収める事も出来ず、ただ漠然と不機嫌さを撒き散らしておくことしか出来なかったのだ。


「イシスの聖印は、我らにとっても大事な物。勅命あらば、直にでも奪回に向かいます」
 美しい輝きを放つ見事な銀髪とややアンバランスなイメージを持つ赤い瞳を持ち、全身を金色を基調にした衣装で固めた戦乙女が、熱心に自分の主である至高神イシス・ハーンへと訴えかけていた。
「盗まれた事実そのものは、連中が何かをしでかすまで隠し通すことが出来るでしょう。ですが、連中が何かをしでかしてからでは、恐れ多くも我が主の権威に傷が付くことを避ける事は出来ません」
 そこまで言ってから、一歩ずいっと身を乗り出す。
「そして、それを防ぐには今すぐの早急な行動が必要です」
「……ディアーネ。あなたのその責任感と忠誠心は、誠に喜ぶべき事ですが……」
 訴えかけられた方は、その積極さの半分さえも持たぬ口調で答えた。
「ここであなた達戦乙女に行動を命ずれば、それだけで事の重大さが露見するであろう。あなたの気持ちは嬉しいですけど、結論を出すのは今しばらく後にしましょう」
 しかし、その言葉だけでディアーネと呼ばれた戦乙女を納得させる事は出来なかった。
「恐れ多いことながら、我が主よ。ここで対応を遅らせた場合、それによってもたらせる権威の失墜は、最初から我らを動かした時のそれとは比べ物にもならぬ程大きい物となりましょう。重ねて出陣の命をお願い致します」
「くどいですよ……ディアーネ。もしそれが必要とあらば、その時に改めてその沙汰を渡します。今は私の命に従いなさい」
 自説を一歩も曲げようとしないディアーネに、諭すようにイシス・ハーンは言葉を続けた。
「それこそがあなた達戦乙女の義務であり、責任である筈ですよ」
「ですが……」
 ディアーネは更に何か言おうと口を開きかけた。
「………」
 ギロリと言う効果音さえ聞こえてきこそうな鋭い視線でイシス・ハーンがディアーネを睨みつける。その鋭い視線に、流石のディアーネもそれ以上言葉を続ける事は出来なかった。
 この神殿に玉座をおき、あらゆる意味においてこの“黄昏の世界”の主人にして実効的支配者である彼女の意向に背ける者が、少なくともこの場所にいる筈がない。
「……失礼致しました」
 ディアーネが慌てたように頭を低くする。いかに世界に高名をはす戦乙女といえども、イシス・ハーンの前ではただの部下に過ぎない。
「もう良い……下がりなさい」
 話は終りだという明確な意思表示の言葉をイシス・ハーンが口にする。
「必要があらば、その時にまた呼びます。それまでは今まで通りこの神殿警護の任を果たしておきなさい……そもそも、それこそがあなた本来の使命である筈」
「は……」
 納得してはいないものの、主の命令に逆らうワケにもゆかず、ディアーネは不服そうな表情を浮かべながらも軽く一礼してイシス・ハーンの前から下がった。
「ふぅ……」
 軽い疲労感にため息を漏らす。どうしてこう、面倒な問題という奴は無くならないのだろう? どうにかこうにか自分の苛立ちに整合性を持たせる事が出来たと思えば、今度は自分の部下が問題を持ち出す。本人にしてみれば忠義のつもりかもしれないが、それだけにタチが悪い。
 いや、その本心がなにも忠義だけとは限らない。ディアーネが今以上の地位を望んでいる事は、周知の事実であったから。
 戦乙女の中における序列や地位など、イシス・ハーンの目から見ればまったく取るに足りない価値観に過ぎない。そのような物にこだわるのは、地上の愚か者達に任せておけば良い物を……まったく。
「どうしました? 我が主。ご機嫌が優れないようですが」
 自分の考えに浸っていたイシス・ハーンに、不意に声が掛けられた。
「どうもこうも……その理由は良く知っている筈だと思うのだけど。そなたに抜かりがあるとも思えませんね」
 自分の思考を中断させた事を咎める様子もなく、まるで何事も無かったかのようにイシス・ハーンは答えた。
「この神殿内であなたの目を逃れる術があるとは、この私とて思えませんからね」
 イシス・ハーンの答えに、発言者は低く喉を鳴らす。それは全身を黒の衣装でまとめた戦乙女だった。イシス・ハーンの言葉になんとも意味深な笑みを浮かべつつ、それでも丁重に一礼する。
「失礼致しました……確かに事の概要は掴んでおります」
「では、フォルシア」
 イシス・ハーンは、漆黒の瞳と長髪を持ち、全身を黒い衣装でまとめた“漆黒の乙女”の異名を持つ腹心の名を呼び、重々しい口調で話しかけた。
「ディアーネについてどう思うか、そなたの所見を聞かせて貰えないかしら? 今ここに他は誰もいません。遠慮する必要はないのだから、正直な言葉を聞かせて欲しいものね」
「そうですね……」
 言葉を選ぶように一呼吸おいてから、フォルシアは言葉を続けた。
「あの野心、些か危険であると思われませんか?」
「………」
「彼女……ディアーネの実力と主に捧げる忠誠心に疑いはありませんが、その秘めたる願望には充分な注意が必要だと愚考しますが……」
「そなたを戦乙女の長に選んだ事が、あの者は余程気に入らないと思えますからね」
 フォルシアの言葉に、イシス・ハーンはため息めいた言葉で答える。
「あの者は継承権こそ低いものの、ヴァリス神聖皇家内でも有数の名家の出身。その為にプライドが高く、自分が新参者と思っている者が上位にいる事に我慢がならないのでしょう」
「それが我慢出来ぬのであれば、彼女は最初から戦乙女の地位など望むべきではありませんでした」
 イシス・ハーンの言葉に、何の感銘をも受けなかったかのようにフォルシアが淡々と言葉を続ける。
「望んでその地位についた以上、主の命令に服する義務を彼女は背負っています。その決定に従えぬとあれば、今直にでもその地位が降りるべきでしょうね」
 辛辣なフォルシアの言葉に、イシス・ハーンが苦笑を浮かべる。
「相変わらず正論にこだわるのですね。それも以前仕えていた主の教えかしら?」
 フォルシアの目に、何か複雑な感情の込められた光が走る。しかし、次の瞬間には平静を取り戻したかのように普通に戻っていた。
「……以前の事など関係ありません。これは私の信念に基づくものです」
「まぁ、いいでしょう」
 話題を変えるようにイシス・ハーンが言葉を続ける。
「それよりも問題なのは、イシスの聖印の件です。フォルシア、そなたに何か良い考えはありませんか?」
「恐れながら今回の問題は我らではなく、地上の者に解決させるべきだと思います」
「ほぉ……」
 腹心の言葉に、イシス・ハーンは面白そうな表情を浮かべた。それを受けてフォルシアが更に言葉を続ける。
「取り敢えず地上の者に任せておけば、いざ失敗したとても次に我らが動けば済む事です。またこの件を“導かれし者達”に任せる事で、我らが神殿内に動揺が無い事を具体的な形で竜神どもの眷属に思い知らせる事が出来ます。
 重要な事は我々が今回の件について全く動揺しておらず、しかも自分の信者達に多大な信頼を寄せていると思い込ませる事です」
「それによって得られるメリットは?」
 短いイシス・ハーンの問いに、フォルシアはやはり短い言葉で答えた。
「地上における我々と信者の更なる信頼関係と、竜神の眷属どもに対する精神的/政治的な優越感の獲得となりましょう」
 この日始めてイシス・ハーンは機嫌の良さそうな表情を浮かべた。
「成る程、流石は戦乙女をまとめる者。その意見、確かに有意義な物。早速その線に従って手を打ちなさい」
 そう言い残すと、イシス・ハーンは身体を翻して奥の自室へと姿を消した。後にはフォルシアだけが残される。
「……セレス」
 暫くの間をおいてから、フォルシアが低く名前を呼ぶ。その言葉に応じ、青を基調にした衣装に身を固めた戦乙女が現われた。
「お呼びかしら?」
 セレスと呼ばれた戦乙女が冷ややかな視線をフォルシアに向ける。そこに悪意や羨望の色は浮かんでいなかったが、あまり気分の良い物ではない。
「こちらの工作は成功しましたよ。後は貴女の役目」
 フォルシアの言葉に、セレスが軽く頷く。
「新たな竜騎士の誕生など、誰も喜びなどしません。我が主に後世での悪名を残さぬ為、事は隠密にかつ迅速に処理するのです」
 ここが一番重要だとでも言いたげな口調で、フォルシアは言葉を続けた。
「スナップ・ドラゴンの秘術など、このまま永久に闇へと葬り去れば良い。14人目の竜騎士など誕生しても、誰一人救われなどしない」
「……真実は闇から闇へ、ですか」
 一通りフォルシアの言葉を聞きおえてから、セレスがやや挑発的な視線を向ける。
「いつか、その闇の中から真実を拾い上げる者が現われるかも知れませんよ。その場合、一体どうなされるおつもり?」
 セレスの答えに、フォルシアは僅かに唇の端を歪めた。
「闇に沈んでしまえば、虚構も真実も全ては混沌の底。誰にもその違いなど永遠に解りはしない……」
 その答えにセレスも僅かに唇を歪めてみせた。
「我々誇り高き戦乙女の任務が、まさかドブさらいだったとは知りませんでしたよ」
 言葉の中に潜んでいた刃を、フォルシアは涼しい顔でさらりとかわした。
「勝者には歴史を捏造する権利があると同時に、その歴史を真実として守り抜く義務がある。我々はその為にこそイシス・ハーン様に仕えているのだから」
「……仰せのままに」
 期待していた物とは明かに違う反応に、セレスは軽く肩をすくめた。
「念の為に確認して起きますが、実動面における指揮権は間違いなく私に一任して頂けるのでしょうね?」
「私はここに留まり、イシス・ハーン様の耳にこの件が届かぬよう警戒していなくてはなりません。当然、副官の貴女に指揮を委ねる事になります」
 言葉こそ平静を保っているものの、表情は作ったような能面。それはこの言葉が多分に持つ政治的な面を暗示しているのかもしれない。
「それはそれで良いとしても、果たしてディアーネが黙っていますか?」
 フォルシアは僅かに眉をひそめた。セレスの心配は、同時にフォルシアの頭痛の種であったからだ。
「ディアーネは、“至高なる天空の大神殿”の守護役に任じられているのをあまり快く思ってはいません。手柄を狙い勝手な行動を起こされては、こちらの行動に支障があるかもしれません」
「ディアーネには、別の仕事を与えるしかないわね……」
 短くそう言ってから、フォルシアは少し首を傾けた。
「丁度良い。導かれし者達の“イシスの聖印”探索を、ディアーネに監督させましょう。アーティファクトの保護も本来は彼女の任務であると思えば、たとえ不服でも引き受けざるを得ないでしょうから」
「その場合、私の役目は半分になるわけですね」
 セレスの言葉に、フォルシアは重々しく頷いた。
「そう、貴方の役目はスナップ・ドラゴンの秘術を封じる事に集約される。お互い悪い話では無いと思うけど」
 フォルシアの言葉に、セレスはやれやれと言わんばかりの態度で軽く肩をすくめた。
「……それでは、早速行動に取り掛かるとしましょうか」
 そう一旦言葉を結んでから、セレスは唐突にフォルシアに質問の言葉を投げかける。
「それはそうと……貴女は、自分達がなんとも不毛な事をしているとは思いませんか?」
 セレスの言葉に、フォルシアは僅かに不審そうな表情を浮かべた。
「今回の件についても、私とあなたは事件の全貌をほぼ正確に把握している。あの愚かなディアーネはもとより、イシス・ハーン様さえも知らぬ事実を。もし私か貴女のどちらかが一言告げれば、それで全てが平和裏に解決する。にも関わらず、私達はその事実に蓋をして永遠に人目につかぬよう葬り去ろうとしている……」
「もう一度だけ言っておきます」
 敢えてセルシアの言葉に直接答えようとはせず、フォルシアは口を開く。
「我々の任務は、イシス・ハーン様の権威と威光をあらゆる面において守り、維持する事にあります。その為ならばあらゆる行為が無条件に正当化され、正当な物として歴史に記される事になるのです」
「それが誇り高き我らが戦乙女の真実の姿だというわけですね」
 フォルシアの言葉に、セレスは彼女には珍しい苦笑じみた表情を浮かべた。
「全ては真実なき正義の為に……せめて勝利ぐらいは手にしたいものですね」
 言葉と同時に一礼し、セレスが退出する。その後ろ姿を見送ってから、フォルシアは軽くため息を漏らした。
「やれやれ……仲間内でさえ“政治的配慮”が必要というのも、疲れるものね」
 視線を降ろせば、そこは硬質のクリスタル・ガラスで造られた床がある。その透明な床からは、地上の雄大な景色が良く見える。ため息をもらしたくなるような美観を持つ絶景。
 “至高なる天空の大神殿”は、地上より遥かな高みにある神の為の領域なのだ。
「まったく、この高みから地上を見下ろしていると……」
 流れる雲の隙間から垣間見える地上の景色を眺めながら、フォルシアは小さく呟いた。
「自分達が、とてつもなく卑小な考えの持ち主であると言われているようで、あまり良い気分にはなれませんね」
 かつてこの“至高なる天空の大神殿”は、地上に存在していた。それが今はこの空の高みにあり、いずれは次元の狭間にさえ移動するかもしれない。その離れてゆく距離の意味する物が、神と信者の心の距離で無いと果たして誰が言い切れるだろうか。
「古来から、愚者と煙は高い所が好きだというけど……」
 果たして今の自分達はそのどちらに属しているのだろうか? もっとも、そのどちらに属していた所で下らない存在である事に違いはないのだが。

ヴァリア・ポリスの中央に位置する巨大な神殿、至高神神殿最高法院は混乱と喧騒の渦の中に飲み込まれていた。
 無理もない。公式に発表こそしていないものの、重要な宝物である“イシスの聖印”が盗みだされたのだ。関係者全てが処断される事で表向きの騒ぎこそ鎮静化しているものの、神殿内の混乱は収まりそうにもない。
 当然だ。これ程の失態が、いつまでもこのまま放置されている事など有り得ない。そう遠くない内に必ず“至高なる天空の大神殿”から何等かの沙汰が来る筈だ。そして、それが吉報である筈も無い。
 自分達は、一体どうするべきなのだ? 前例の無い余りに大きな事件に、全ての神政官達は狼狽し、何一つ有効な手段を講じる事が出来ない。地上においては最大権力者として全神殿勢力に君臨して来た神政官達も、神の怒りの前には無力な人間であるに過ぎない。
 地上における彼らの権勢など、大いなる神の持つ威光に比べれば、朝日の前に霞んでゆく朝靄のようなものに過ぎないのだから。
 しかし、その狼狽と混乱の中においても、少数ではあるものの冷静さを失わない者達もいる。

「結局、うちらは御上の決めた事に従うんしかないんやからね」
 テーブルの上におかれた珈琲のカップに手を延ばしながら、その少女はどこか投げたように口を開いた。
「それを今の段階であーだこーだと悩んでも仕方あらへん。そんな事もわからんと右往左往しとるんじゃ、御上も幻滅しとるんちゃうかな」
 少し癖の強いショートカットの金髪と、まだそばかすの残る顔に浮かべた悪戯っぽい笑顔が特徴的な美少女だ。そして独特のイントネーションを持つ言葉も、その外見を裏切らない闊達さを持っている。
「セルシア……少しは口を謹みなさいな」
 独特のイントネーションでまくしたてる少女の向い側で、分厚い書物に目を落としていた若干年上に見える少女が口を開いた。
「本来ならば、あなたはこの場所にやって来る資格を持たないのですよ。それを特例として認めてもらっているのですからね」
 向い側の少女とは違い、奇麗に整えられたストレートの金長髪と、心なしか大きめに作ってある眼鏡が印象的だ。眼鏡をかけている点や若干大人びた印象といった相違点があるものの、容姿そのものは向い側の少女と酷似している。ただ浮かべている表情は笑顔では無く、いかにも優等生風の実直な表情だが。
 まぁ、似ているのも当然だ。何しろこの二人は血を分けた姉妹なのだから。
「それもこれも、み〜んな姉さんのおかげっちゅうワケやね」
 大して熱意がこもっているとも思えない軽い口調で、セルシアと呼ばれた少女が答える。
「地位的には殆ど最下層に等しい境遇のうちがこんな立派な場所まで入られるのも、姉さんの献身と信仰があってことやもんね」
 最下層に等しい境遇と立派な場所という二つの部分に妙な力を込めながらセルシアが続ける。
「あまりに恐れ多くて、つい本音がでてしもうた」
 言いたいことを言いいながら、乱暴な動きで背もたれに背中を預けた。
「たまには姉さんも本音を見せてみたらどうやね。いっつもそう肩肘張ってると、過労で倒れるかもしれへんよ」
 言葉こそ乱暴であったが、その言葉の底には紛れも無い労りの感情がこもっていた。いつも神殿職務に全身全霊をかけて精励している姉の姿を、セルシアはいつも不条理に感じていたのだ。もっとも、それを姉に直接言ったりはしないが。
「そうね……でも、今の私には疲れている暇はないわ」
 妹の密かな思いやりに気付いているのか気付いていないのか、姉と呼ばれる少女は素っ気ない返事を返す。
「下層近い境遇から私達を引き上げてくれた主の為にも、まだまだやらないといけない事は沢山あるわ」
 セルシアは軽く肩をすくめた。一時が万事、彼女の姉はそういう人物であった。
「せやけど……」
 説得の無駄を知りつつも、敢えてセルファは口を開く。だが、その言葉は最後まで続ける事は出来なかった。軽いノックの音と同時に扉が開かれ、緊張した面持ちの下級神官が入って来たのだ。
「アルシア二等神政官殿、ヴァネッサ司教様がお呼びでございます」
 まるでそれを予期していたかのように、アルシアと呼ばれた少女は軽いため息と共に読んでいた書物を閉じた。