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無限の螺旋迷宮

序章

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章

終章



 突然連絡を断った寒村の調査を命ぜられた審問官シード。
 目的地に向かう途中、シードは妙な少女と妙なきっかけから連れ合うハメになる。
 やがてたどり着いた寒村で、シードが目撃する事になる現実。
 望まぬモノを否応なく手にしてしまった少女に、彼はなにを思うのか?

第五章

「竜族としての力が暴走しているのよ」
 まるで罪人に有罪を言い渡す裁判官のように厳かな口調でクレアが告げる。
「竜族最大奥義“スナップ・ドラゴン”の秘術は御存知かしら?」
 スナップ・ドラゴン……それは竜族の間に伝わる伝説の秘術の名前だ。その力を内に秘めし者は、竜族の中でも最強の技と力を身につける事が出来ると言う。
「噂ぐらいには聞いた事があるな。しかし、それが今の状況と何の関係があるんだ」
「スナップ・ドラゴンの秘術は、竜族が竜騎士として生まれ変わるのに必要な力。それはあまりに強力過ぎるが故に、強靱な意志の力無しでは制御出来ないわ」
「まさか……」
 オレはごくりと音を立てて唾を飲み込んだ。
「まさか……この少女が、将来の竜騎士だというのか!」
 竜騎士と言えば、戦乙女と互角に戦いうる唯一の存在と呼ばれる戦士達だ。この少女が、その最強との誉れ高き戦士の一員だと呼ばれても真実味がわかない。
「言葉よりも、今は現実に目を向ける事ね」
 クレアが冷たく言い放つ。
「あの娘から放出されている力、それが常人の持つ物だとでも思うわけ?」
「………」
 確かに、あれは常人が発するオーラじゃない。少なくとも十代の少女が発するそれでは断じてない。
「審問官の任務は、至高神に仇成す者を突き止め、追求し、討ち滅ぼす事にあるんじゃなかったかしら? その観点から見れば、目前の少女は明かにあなたの主に背く存在なのよ」
 まるで駄目押しでもするかのようにクレアが言葉を続ける。
「何を迷う事があるの?」
「だからと言って……この少女を、オレに、殺せと言うのか……?」
 殆ど悲鳴じみていたオレの言葉に、クレアは冷徹な言葉で答える。
「それがあなたの背負う任務。そして審問官としての義務」
 違う……。
 一度だけ直接言葉を交わした時、カロン神官長は言っていた筈だ。
「神職者としての使命は確かに大切だよ。だけどね、その為に人としての道を踏み外す事は、決して主も望んではいないと思うんだ」
 その時は何とも変った意見の持ち主だといった程度の認識しか持たなかったが、今ならわかる。
 あの理想を心から信じていた神官長は、神官である以前に人であれと言っていたのだ。
 そう。至高神の教義にも記してある。
 『汝、全てにおいてまず人であれ』と……。
 勘違いしては困るが、何もこれは思うが侭に好き勝手に生きろという意味では無い。
 自己の利益を追求するのは構わない。何故ならそれは人の本能なのだから。神ならぬ身である以上、欲望そのものを無くしてしまう事など出来ない。
 だが、そこには守るべきルールが存在する。人は他人との繋がりによって存在しうる固体だ。どれ程一匹狼を気取ってみても、人は一人では生きてゆけない。
 面白くは無いが、それが事実だ。組織では一匹狼を気取っているオレではあるが、だからといってオレは一人で存在しているワケではない。
 極端な話、上司がいなければ給料は貰えないし、下っ端がいなくては雑用を押し付ける事も出来ない寸法だ。はははは。
 人として最低限の節度を守り、己が目的を果たせ。つまりはそういう事だ。
「シード、覚悟を決めなさい!」
 馬鹿な考えに浸っているオレに、クレアが厳しい声で告げる。
「たとえそれが望んだ結果では無くても、この少女は紛れも無く竜神の眷属なのよ。そして、あなたは至高神の叙勲を受けた審問官……なにをためらう必要があるの!」
「違う……違うんだ!」
 何かを振り切るようにオレは激しく頭を振る。
「カロン神官長が言っていた……。神官は、神官である以前に人の心を忘れてはいけないと。神殿とは、全てを犠牲にした上で成り立つ組織ではないと」
「そう……カロンがそんな事を……」
 やや陰りのある表情でクレアが答える。
「あのお人好しの神官ならば、確かにそう言うでしょうね」
 ………? クレアはカロン神官長を知っているのだろうか? なにか、妙に親しげな雰囲気の言葉だが。
「でも、世界は理想だけで動いているワケではないのよ。そもそも、その事はあなた自身が良く知っている筈よ」
「だ、だが……」
 頭の中で血が逆流しているようだ。まるで酸欠にでもなったかのように頭がクラクラする。目の前に赤い靄さえ見えて来た。
「彼女は自らが望んだわけでもないのに、その身体にスナップ・ドラゴンの秘術を宿す事になったわ。竜神が選ぶのは、その素質であって個人の意志ではないのよ」
 クレアが、まるで物語を語り聞かせるように口を開く。
「その結果、彼女は何の罪も持たぬのに神殿と神殿に煽動された村人によって迫害を受ける事になった」
「………」
「それでも彼女は耐えていた。どれほど苛められ虐げられても、それでも彼女は耐えていたのよ。いつか、必ずわかってくれる人がいると信じて。望まぬ運命を理解し、そこから解放してくれる人が現われると信じて」
 そこまで言ってから、クレアは悲しげに頭を振る。
「でも、愚かな事に神殿は少女の抹殺を望んだわ。その身体にスナップ・ドラゴンの秘術を持つという理由だけで」
 クレアの指がゆっくりと上がり、その指先がピシャリとオレを捉える。
「その身に危険が迫った事によって、彼女の力は暴走を始めた……放っておけば、決して覚醒する事なかった力を、神殿は自らの手で解き放ってしまったのよ」
 最後の言葉は、はっきりと知覚できなかった。
 だが、事実だけはわかる。愚かにも神殿組織が、また一つ愚行を繰り返したのだという事も。
「クレア……お前さんは何もかも知っていたんだな! それだけの事を知りながら、何故オレに近づいた! 一体、お前さんは何者なんだ!」
 少女から発せられるオーラが、次第に堪え難いプレッシャーまで帯びて来る。このままでは、冗談事ではなく、まずい!
「わたしは……わたしはオデッセイ。過ぎ去りし栄光の時代」
「なんだって! じゃぁ、キミはまさか……!」
「シード!」
 更に言葉を続けようとしたオレに、殺意さえ感じさせる声でクレアが叫ぶ。
「この哀れな娘を、いつまで苦しめ続けるつもり! その望まぬ運命からの解放は、その娘の為でもあるのよ!」
 解放……望まぬ運命からの解放!
『全てに終末を告げ、この世の輪廻から解き放つためだけに創られし魔剣』
 確かにクレアはそう言った。もしそれが本当ならば、もしかして……!
「リーナ!」
 全ての迷いを断ち切り、オレはイリューザーを振り上げる。
「今、キミを全ての苦しみの根源から解放してやるからな!」
 そして少女目掛けて剣を降り下ろした時、全てが目映い輝きの中に包み込まれた。

「くっ……」
 頭がズキズキする。いつの間にか意識を失って倒れていたらしい。オレは粗末な毛布を一枚かぶった格好で地面に寝ていた。
「くそっ!」
 ズキズキする頭を懸命にはっきりとさせながら、オレはようやく上半身を起した。
 殺風景で何もない部屋。テーブルと壊れた椅子が内装品の全て。
「そうだ、クレアは?」
 頭痛がおさまると同時に記憶が戻り、ふらつく身体を無理に起こし上げ、オレは立ち上がった。部屋の中にいないのならば、当然外にいる筈だ。
 それに、気のせいか何やら外から良い匂いが漂ってきている。
「くっ……」
 一歩外に出た瞬間、強烈な日光がオレの目を焼いた。あまりの眩しさに身体がふらつき、情けない事に背中を小屋の壁にぶつけ、そのままズルズルと座り込んでしまった。
「あ……お目覚めになられたんですね」
 目を閉じて、網膜に焼きついた光の余韻を耐えていたオレの耳に、あまり聞き覚えのない澄んだ声が届いた。
「もう、一昼夜も意識を失われたままでしたよ。ひょっとしたら、もうお目覚めにならないかもしれないかと不安でした」
 恐る恐るオレは目を開いた。まず最初に強い陽射しが再び差し込み、やがて不安げな表情でオレの顔を覗き込んでいる少女の顔が目に入る。それはクレアでは無かった。
「………?」
 その少女の顔に、どこか見覚えがある気がしてオレは僅かに顔をしかめた。
「有り合わせの粗末なスープですけど、どうぞお飲みになってください。少しは元気が出ると思いますよ」
 言われるままに少女の差し出した皿を受け取る。オレに皿を渡すと、少女は少し離れた場所においてある水桶の方に歩いていった。
「………」
 行儀が悪いとは思ったが、皿に口を当てて一気に中身を飲み干す。喉を焼けるような熱みが走ったが、不思議と気にならない。
「キミは……誰だ?」
 取り敢えず腹に食物が収まった事でやや落ち着きを取り戻し、オレは少女にそう尋ねた。
「リーナ」
 水に浸してあった手拭いを絞りながら少女が答える。
「リーナ・クレイバス。わたしのこと、覚えていらっしゃらないのですか?」
 寂しげな表情と声で少女が答える。その名前を聞いた瞬間に、オレは全ての記憶を取り戻した。
「そうだ……! クレアは?」
 興奮と同時に左肩に鈍い痛みが走る。そうだ、オレは竜と戦って左腕を……。
「じっとしていてください」
 リーナがゆっくりとオレの左肩に近づき、巻いてあった手拭いを交換する。どうやら、オレが気絶している間も看病していてくれたらしい。
「あの方は、去って行きました」
 手際良く手拭いを取り替えながらリーナが言う。
「あなたの事を、立派な審問官だと誉めていましたよ」
「立派な審問官、ね……ところで、キミは何故オレを助ける? オレもキミにとっては憎むべき組織の一員なんだぞ」
 オレの言葉に、うつむいて作業を続けながらリーナが答える。
「でも、あなたはわたしを救ってくれました。神殿の人達はわたしを迫害するだけでしたけど、少なくともあなたはわたしを望まぬ運命から解放してくれました」
「……そうか……」
 その言葉だけで、オレは全てを理解した。
 オレの予想は正しかったんだ。そして、その結末を見届けたクレアは、自分の役目を終えて帰って行ったのだろう。
「あの剣は預かってゆくそうです」
 相変わらずうつむいた格好のままリーナが言葉を続ける。
「また必要になれば、必ず届けに行くと言ってました」
 イリューザーの事だな。オレはそう理解した。
「まぁ、いいさ。元々オレの物じゃないし、無くなった所で気にもならん……それより、キミはこれからどうするんだ?」
「わかりません……あの方の言う事によると、もうすぐこの村に人々が戻ってくるそうです。流石に消し飛んでしまった神殿までは戻らないそうですけど」
 オレの質問に、呆れるほど正直に少女が答える。
「だけど、わたしはもうここには居られません。折角わたしを解放して頂いたのに、もうわたしのいるべき場所はありません」
 少女の言いたい事は良くわかる。たとえ故意では無いにしろ、少女は一度この村を消滅させてしまったのだ。たとえ村が現状に復帰するとしても、少女の傷ついた心まで回復させる事は不可能だ。
「……オレと一緒に来るか」
 短い沈黙の後、ポツリとオレは言った。
「確かに、オレは甲斐性無しの男だが、キミ一人分の居場所を用意する事ぐらいは出来る……勿論、キミがそれを望むならばだが」
 オレの言葉に、リーナはその両目を驚いたようにまん丸くする。確かに突然、そんな事を言われれば、誰だって驚くだろう。事実、言った本人でさえ驚いているのだから。
 だが、オレはその言葉を引っ込めるつもりは無かった。上手く言えないが、長いこと捜していた何かに、ようやく出会えたような気がする。
「その言葉……信じて良いんですね? 本当に、本気にして良いんですね」
 両目からポロポロと涙をこぼしながらリーナが答えた。
「もちろん、御一緒させてもらいます。審問官様」