無限の螺旋迷宮
序章
突然連絡を断った寒村の調査を命ぜられた審問官シード。
目的地に向かう途中、シードは妙な少女と妙なきっかけから連れ合うハメになる。
やがてたどり着いた寒村で、シードが目撃する事になる現実。
望まぬモノを否応なく手にしてしまった少女に、彼はなにを思うのか?
それは最高の冗談だった。木こり小屋を守るかのように巨大な竜が出現している。目を爛々と輝かせ、威嚇の唸り声を上げながら。
「こいつは、楽しくなってきたじゃねぇか」
半ば自棄糞じみた科白を吐く。全く、冗談じゃない。竜が相手だなんて、神聖騎士団でも呼んで事なくては話にならない。
この世界で竜と一騎討ちなどという洒落た真似が出来るのは、最強の誉れ高き戦乙女達ぐらいなものだ。
「逃がしては……貰えそうもないな」
その殺意に満ちた瞳を見ればすぐにわかる。どうやら、無事にはすみそうもない。
「……どうする?」
妙に偏平な口調でクレアが尋ねてきた。どうやら心境はオレと大差無いらしい。
「どうするって……」
どうするもこうするも、この状況では戦う以外に生き残る道は無い。相手が逃がしてくれないのならば、こちらも実力で押し通すだけだ。
「いいか」
覚悟を決めて、オレはクレアに声を掛けた。
「オレがあいつの気を引くから、お前さんはその隙に逃げろ。残念だが、オレの力じゃお前さんを守ってやる余裕は無い」
「あなたはどうするのよ?」
クレアが尋ね返してくる。どうするかだって?
「オレは……オレは、審問官としての任務を果たす」
はん。馬鹿馬鹿しいが仕方が無い。審問官の教義は、人に害なす物全てを打ち倒すように教えている。そして、竜という存在は、竜神に連なる滅ぼすべき存在だ。
それに、クレアを見殺しにするような真似は出来ない。
「だぁっっっっっっっ!」
クレアの返事を待たず、長剣を振りかざしながらオレは走リ出した。竜の視線がオレを捉え、長い首を動かす。
次の瞬間には、空気を切り裂くような音と共に首が襲いかかってきた。
「くそっ!」
甲高い音と、強烈な衝撃。竜の一撃を軽く避け、長剣で一撃を加えはしたものの、その鋼のような皮膚に弾き返されてしまった。勢い余って、オレの身体は数歩よろめくハメになる。
(こいつは、マジで洒落になってねぇぞ!)
心の中で悪態を漏らす。やはりオレ程度の魔力で強化を施していても、竜の皮膚には通じない。何しろ、連中の後ろには竜神がついているんだからな。
馬鹿野郎。ドラゴン・スレイヤーは伝説の称号だが、生憎オレはそんな物が欲しいとは思わねぇぞ!
「ガァッ!」
再び竜が襲いかかってくる。体勢を崩しているオレに、その一撃を避ける事は出来なかった。
「ぐはっ!」
左肩に走る鈍い痛みと衝撃。地面に叩き付けられた背中の痛み。辛うじて直撃は避けたものの、竜の牙によって左腕を切り裂かれてしまった。しかも地面に叩き付けられているこの体勢では、次の一撃を避けれるとは、とても思えない。
(こいつは、いよいよお終いかな)
竜が鎌首を持ち上げ、深呼吸でもしているかのように大きく息を吸い込む。次にやってくる物は想像するまでもない。ドラゴンブレスだ。
「シード! 諦めてはダメ!」
覚悟を決めたオレの耳に、クレアの声が届く。
馬鹿な、まだ逃げていなかったのか!
「馬鹿野郎!」
顔を声の方に向けながらオレは叫ぶ。
「早く逃げろ! お前さんみたいなお嬢ちゃんを巻き添えにしちまったら、末代までの恥だ! 御先祖様に合わせる顔が無い」
「馬鹿な強がり言っている場合じゃないでしょ!」
オレが何か答えるよりも早くクレアはオレと竜の間に立ち塞がり、両手を前に突き出しながら大きく叫んだ。
「我が大いなる調停の力よ……光り輝く盾となりて、大いなる破壊から守りたまえ!」
ドラゴンのブレスが襲いかかってくるのと、少女の前に光り輝く障壁が産み出されるたのは、ほぼ同時だった。激しい勢いで迫ってきたブレスは、少女の創り出した魔法障壁によって完全に阻まれた。
しかし、それでも諦めずに竜はブレスを吐き続ける。
「ク、クレア……?」
左腕を庇いながら立ち上がったオレの言葉に、障壁を懸命に維持しながらクレアが答えた。
「その包みを、早く!」
クレアの足元に、いつも抱きしめていた紫色の包みが落ちている。拾い上げたそれは、予想よりも遥かにずっしりとした重みを持っていた。
「早く中身を!」
額に脂汗を浮かべながら、クレアが叫ぶ。
「中身を取り出すのよ!」
言われるまま、オレは紫の包みを取り払った。
「………!」
それは片刃の長剣だった。薄く青白い光を放つ不思議な金属で作られた刀身、そして左右のバランスに重点をおいたデザインの柄。一目見ただけで、それが一流の業物である事がわかる。
「早く……もう、もたない……!」
クレアの身体がふらりと揺れ、同時にそれまでブレスを防いでいた障壁が弱まる。
「うぉぉぉぉぉぉぉっ!」
自由になる右手で長剣を構え、気合いの叫び声を上げながらオレが走る。同時にブレスがオレ目掛けて襲いかかってきたが、全て長剣の前で左右に切り流されていた。
「でやぁぁぁぁぁぁっ!」
渾身の気合いを込めて長剣を竜に突き立てる。その途端に竜は光り輝く光球となり、次の瞬間には消滅してしまった。
後には静寂だけが残される。
「こ、これは……?」
あまりの威力に呆然と呟くオレに、クレアは厳かな声で告げた。
「それは、何もかもを消滅させる表裏一体の魔剣、終末剣『イリューザー』よ」
「………」
「持ち主が消し去りたいと心から願えば、それが何であっても消し去ってしまう魔剣。全てに終末を告げ、この世の輪廻から解き放つためだけに創られし魔剣。あなたが望むのならば、この世界そのものを消し去ることさえ可能……」
クレアから発せられる圧倒的なプレッシャー。それは先程感じた物を遥かに超える重圧感だった。
「こんな物を一体、何処で……?」
圧倒されながらも、オレが質問の言葉を口にする。これ程の威力を持った魔剣を、なぜこの少女が持っていたのだろうか?
「失礼ね……それは私が創りあげた剣よ」
オレの質問に、クレアは少々気分を害したような表情で答えた。
「この日、この場所で、この瞬間に、あなたに渡す為に創りあげた、あなたの為の剣なのよ」
「オレの、剣……?」
間抜けな返事になってしまうのも無理は無い。まるで頭の中が真っ白になってしまったようだ。
クレアは、このつかみ所の無い少女は、一体何を告げようというんだ?
「そう、あなたの剣。その剣を使ってこの惨事の幕を降ろすのが、あなたの役目」
惨事……幕? 一体、何が言いたいんだ? いや、それよりもこのクレアという少女。一体何者なのだ?
少なくとも、彼女が見た目とおりの少女でないことだけはわかる。
「正直言って、最初は人選を誤ったかと思ったけどね」
クレアが肩をすくめてみせる。
「でも、まぁ、合格ね」
「そいつは、どうも」
どうも素直に喜ぶ気にはなれない。誉めれらているというよりは、教師が出来の悪い生徒を励ましているような口調だ。
「心に邪な野心や欲望を持つ者は、その剣を手にしただけで消滅してしまうからね。私の為だけでなく、あなたの為にも幸いだったわ」
「オ、オイ……!」
なんか、とてつもなく物騒な科白だ。
「じゃぁ、なんだ。ひょっとしたら、その剣を持った瞬間、オレは消えちまっていたかも知れないってことか?」
「でも、あなたは今ここに存在している。それでいいじゃないの」
いや、あまり良くないぞ。そりゃ今回は無事だったから良かったものの、本当に消えちまっていたら洒落になってないぞ。
「さて審問官殿、これからどうなさいます?」
明かにわざとだとわかる気取った表情と声でクレアが言う。
「全ての根源は、あの小屋の中にあるわ。その剣を手にしてしまった以上、あなたには全てを見届ける義務があるわ」
「義務、ねぇ……」
何だか無理矢理押し付けられたような気がしないでもないが……。それを義務と呼ばれるのはあまり面白い気分では無い。
「まぁ、いいさ。ここまで来たんだ。最後まで付き合ってやるよ」
「小屋を取り巻いている力場は、その剣で払う事が出来るわ」
オレが承諾すると同時に、クレアが口を開く。
「その中に、望まぬ運命に虐げられた悲劇の主人公がいるわ」
「成る程……お前さんは何もかも承知の上だったというワケだ」
この少女の正体が何であるかは知らないが、どうやら全てお見通しの上での行動だったらしい。つまり、オレはこの少女の掌の上で踊っていたピエロというワケだ。
正直言って面白くは無いが、興味はある。
いいだろう。こうなったら最後まで見届けてやろうじゃないか。