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無限の螺旋迷宮

序章

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章

終章



 突然連絡を断った寒村の調査を命ぜられた審問官シード。
 目的地に向かう途中、シードは妙な少女と妙なきっかけから連れ合うハメになる。
 やがてたどり着いた寒村で、シードが目撃する事になる現実。
 望まぬモノを否応なく手にしてしまった少女に、彼はなにを思うのか?

第四章

 それは最高の冗談だった。木こり小屋を守るかのように巨大な竜が出現している。目を爛々と輝かせ、威嚇の唸り声を上げながら。
「こいつは、楽しくなってきたじゃねぇか」
 半ば自棄糞じみた科白を吐く。全く、冗談じゃない。竜が相手だなんて、神聖騎士団でも呼んで事なくては話にならない。
 この世界で竜と一騎討ちなどという洒落た真似が出来るのは、最強の誉れ高き戦乙女達ぐらいなものだ。
「逃がしては……貰えそうもないな」
 その殺意に満ちた瞳を見ればすぐにわかる。どうやら、無事にはすみそうもない。
「……どうする?」
 妙に偏平な口調でクレアが尋ねてきた。どうやら心境はオレと大差無いらしい。
「どうするって……」
 どうするもこうするも、この状況では戦う以外に生き残る道は無い。相手が逃がしてくれないのならば、こちらも実力で押し通すだけだ。
「いいか」
 覚悟を決めて、オレはクレアに声を掛けた。
「オレがあいつの気を引くから、お前さんはその隙に逃げろ。残念だが、オレの力じゃお前さんを守ってやる余裕は無い」
「あなたはどうするのよ?」
 クレアが尋ね返してくる。どうするかだって?
「オレは……オレは、審問官としての任務を果たす」
 はん。馬鹿馬鹿しいが仕方が無い。審問官の教義は、人に害なす物全てを打ち倒すように教えている。そして、竜という存在は、竜神に連なる滅ぼすべき存在だ。
 それに、クレアを見殺しにするような真似は出来ない。
「だぁっっっっっっっ!」
 クレアの返事を待たず、長剣を振りかざしながらオレは走リ出した。竜の視線がオレを捉え、長い首を動かす。
 次の瞬間には、空気を切り裂くような音と共に首が襲いかかってきた。
「くそっ!」
 甲高い音と、強烈な衝撃。竜の一撃を軽く避け、長剣で一撃を加えはしたものの、その鋼のような皮膚に弾き返されてしまった。勢い余って、オレの身体は数歩よろめくハメになる。
(こいつは、マジで洒落になってねぇぞ!)
 心の中で悪態を漏らす。やはりオレ程度の魔力で強化を施していても、竜の皮膚には通じない。何しろ、連中の後ろには竜神がついているんだからな。
 馬鹿野郎。ドラゴン・スレイヤーは伝説の称号だが、生憎オレはそんな物が欲しいとは思わねぇぞ!
「ガァッ!」
 再び竜が襲いかかってくる。体勢を崩しているオレに、その一撃を避ける事は出来なかった。
「ぐはっ!」
 左肩に走る鈍い痛みと衝撃。地面に叩き付けられた背中の痛み。辛うじて直撃は避けたものの、竜の牙によって左腕を切り裂かれてしまった。しかも地面に叩き付けられているこの体勢では、次の一撃を避けれるとは、とても思えない。
(こいつは、いよいよお終いかな)
 竜が鎌首を持ち上げ、深呼吸でもしているかのように大きく息を吸い込む。次にやってくる物は想像するまでもない。ドラゴンブレスだ。
「シード! 諦めてはダメ!」
 覚悟を決めたオレの耳に、クレアの声が届く。
 馬鹿な、まだ逃げていなかったのか!
「馬鹿野郎!」
 顔を声の方に向けながらオレは叫ぶ。
「早く逃げろ! お前さんみたいなお嬢ちゃんを巻き添えにしちまったら、末代までの恥だ! 御先祖様に合わせる顔が無い」
「馬鹿な強がり言っている場合じゃないでしょ!」
 オレが何か答えるよりも早くクレアはオレと竜の間に立ち塞がり、両手を前に突き出しながら大きく叫んだ。
「我が大いなる調停の力よ……光り輝く盾となりて、大いなる破壊から守りたまえ!」
 ドラゴンのブレスが襲いかかってくるのと、少女の前に光り輝く障壁が産み出されるたのは、ほぼ同時だった。激しい勢いで迫ってきたブレスは、少女の創り出した魔法障壁によって完全に阻まれた。
 しかし、それでも諦めずに竜はブレスを吐き続ける。
「ク、クレア……?」
 左腕を庇いながら立ち上がったオレの言葉に、障壁を懸命に維持しながらクレアが答えた。
「その包みを、早く!」
 クレアの足元に、いつも抱きしめていた紫色の包みが落ちている。拾い上げたそれは、予想よりも遥かにずっしりとした重みを持っていた。
「早く中身を!」
 額に脂汗を浮かべながら、クレアが叫ぶ。
「中身を取り出すのよ!」
 言われるまま、オレは紫の包みを取り払った。
「………!」
 それは片刃の長剣だった。薄く青白い光を放つ不思議な金属で作られた刀身、そして左右のバランスに重点をおいたデザインの柄。一目見ただけで、それが一流の業物である事がわかる。
「早く……もう、もたない……!」
 クレアの身体がふらりと揺れ、同時にそれまでブレスを防いでいた障壁が弱まる。
「うぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 自由になる右手で長剣を構え、気合いの叫び声を上げながらオレが走る。同時にブレスがオレ目掛けて襲いかかってきたが、全て長剣の前で左右に切り流されていた。
「でやぁぁぁぁぁぁっ!」
 渾身の気合いを込めて長剣を竜に突き立てる。その途端に竜は光り輝く光球となり、次の瞬間には消滅してしまった。
 後には静寂だけが残される。
「こ、これは……?」
 あまりの威力に呆然と呟くオレに、クレアは厳かな声で告げた。
「それは、何もかもを消滅させる表裏一体の魔剣、終末剣『イリューザー』よ」
「………」
「持ち主が消し去りたいと心から願えば、それが何であっても消し去ってしまう魔剣。全てに終末を告げ、この世の輪廻から解き放つためだけに創られし魔剣。あなたが望むのならば、この世界そのものを消し去ることさえ可能……」
 クレアから発せられる圧倒的なプレッシャー。それは先程感じた物を遥かに超える重圧感だった。
「こんな物を一体、何処で……?」
 圧倒されながらも、オレが質問の言葉を口にする。これ程の威力を持った魔剣を、なぜこの少女が持っていたのだろうか?
「失礼ね……それは私が創りあげた剣よ」
 オレの質問に、クレアは少々気分を害したような表情で答えた。
「この日、この場所で、この瞬間に、あなたに渡す為に創りあげた、あなたの為の剣なのよ」
「オレの、剣……?」
 間抜けな返事になってしまうのも無理は無い。まるで頭の中が真っ白になってしまったようだ。
 クレアは、このつかみ所の無い少女は、一体何を告げようというんだ?
「そう、あなたの剣。その剣を使ってこの惨事の幕を降ろすのが、あなたの役目」
 惨事……幕? 一体、何が言いたいんだ? いや、それよりもこのクレアという少女。一体何者なのだ?
 少なくとも、彼女が見た目とおりの少女でないことだけはわかる。
「正直言って、最初は人選を誤ったかと思ったけどね」
 クレアが肩をすくめてみせる。
「でも、まぁ、合格ね」
「そいつは、どうも」
 どうも素直に喜ぶ気にはなれない。誉めれらているというよりは、教師が出来の悪い生徒を励ましているような口調だ。
「心に邪な野心や欲望を持つ者は、その剣を手にしただけで消滅してしまうからね。私の為だけでなく、あなたの為にも幸いだったわ」
「オ、オイ……!」
 なんか、とてつもなく物騒な科白だ。
「じゃぁ、なんだ。ひょっとしたら、その剣を持った瞬間、オレは消えちまっていたかも知れないってことか?」
「でも、あなたは今ここに存在している。それでいいじゃないの」
 いや、あまり良くないぞ。そりゃ今回は無事だったから良かったものの、本当に消えちまっていたら洒落になってないぞ。
「さて審問官殿、これからどうなさいます?」
 明かにわざとだとわかる気取った表情と声でクレアが言う。
「全ての根源は、あの小屋の中にあるわ。その剣を手にしてしまった以上、あなたには全てを見届ける義務があるわ」
「義務、ねぇ……」
 何だか無理矢理押し付けられたような気がしないでもないが……。それを義務と呼ばれるのはあまり面白い気分では無い。
「まぁ、いいさ。ここまで来たんだ。最後まで付き合ってやるよ」
「小屋を取り巻いている力場は、その剣で払う事が出来るわ」
 オレが承諾すると同時に、クレアが口を開く。
「その中に、望まぬ運命に虐げられた悲劇の主人公がいるわ」
「成る程……お前さんは何もかも承知の上だったというワケだ」
 この少女の正体が何であるかは知らないが、どうやら全てお見通しの上での行動だったらしい。つまり、オレはこの少女の掌の上で踊っていたピエロというワケだ。
 正直言って面白くは無いが、興味はある。
 いいだろう。こうなったら最後まで見届けてやろうじゃないか。

 クレアの言った通り、小屋を取り囲んでいた障壁は、オレがイリューザーの先を当てただけであっさりと消え去ってしまった。
「しかし、本当に竜族がいるのか?」
 脳裏に浮かんだ疑問が口を付く。こんな鄙びた辺境の村に、本当に竜族がいるのか?
 確かに竜は存在した。そして竜とは名前の通り、その全てが竜神に連なっている。竜神に連なる者が存在するという事は、何よりもそこに竜族が存在する事を意味している。
 だが、こんな田舎に何故? 竜を連れているという事は、かなり高位の竜族である筈だ。それも竜騎士以上の。
 それ程の高位の者が、こんな場所で何を企む? こんな村一つを消し去ってしまう事にどれ程の意味がある?
 それよりも、ここ数百年の間、目立った行動を何一つしていなかった竜族が、今になって何故こうも目立つ動きを見せる?
 あまりにも不自然だ。
「その答えは、目の前にあるわ」
 古ぼけた扉の方を指差しながらクレアが言う。
「どうする? 今ならまだ、全てを放り捨てて逃げる事もできるわよ」
「生憎、オレは乗りかかった船には沈没しても乗っておくタチでね」
 扉のノブをグッと握り締める。
「ここまで来て後には引けないな」
 言葉と同時に扉を開け放つ。あまり立て付けの良くないそれは、ギギギッという耳障りな音をたてながらゆっくりと開いた。

「………」
 小屋の中は予想に違わぬ殺風景な空間だった。古びたテーブルと、足が崩れ地面に倒れている椅子が一脚。後は既に原形を留めない状態で腐り落ちている残骸。
 その殺風景な景色の片隅で、一人の少女がうずくまっていた。両手でしっかりと膝を抱え込み、その中へ顔を深く沈め込んでいる。歳の頃は十代前半といった所か。
 恐らくは見事な金色であっただろう髪の毛は薄汚れ、着ている物もボロボロた。
「オイ……」
 考えよりも先に身体が動いてしまった。ふん……我ながらなんともまた、普通な人間の反応をしてしまったものだ。
「大丈夫か?」
 はっ、オレは何を言っているんだオレは。こんな状況で、何を呑気な事を……。
「………」
 オレの言葉に、少女がうつろな瞳を向ける。生気を失った澱んだ瞳。そのくせ妙に生々しく涙の跡だけが光っていた。
 それは、とても生きている人間の瞳には見えない。これでは、まるで出来の良い飾り人形だ。
「オイ、大丈夫か?」
 もう一度同じ科白を繰り返しながら、オレはゆっくりと少女の方に近づく。何とも芸の無い対応だとは思ったが、かと言って他に対応の方法も思い付かない以上、やむを得ないだろう。
 クレアの方と言えば、壁に背中を預けた格好のまま一言も口を開こうとはしない。
「いや……」
 オレが近づくと、少女がまるで脅えるかのような表情を浮かべる。いや、実際に脅えているのだろう。
「キミ、名前は?」
 出来るだけ優しげな口調で声を掛ける。もっとも、あまり成功しているとは思えないが。
「リ……リーナ」
 脅えた表情はそのままで、少女が答える。
「そうか。それで、リーナはどうしてこんな場所にいるんだ?」
「ここが……わたしの家、だから……」
 途切れ途切れの単語に近い発音でリーナという少女が答える。
「わたしの、居るべき場所、だから……」
 オイオイ。オレは心の中で頭を抱えた。いくらなんでも、ここが家だなんて悪い冗談だ。スラムの最下層に住んでいる者達だって、ここよりは余程上等な場所に住んでいる。
 だいたい、この場所からはおよそ生活の匂いというものが感じられない。
「じゃぁ、キミの両親は? それとも保護者はどうしたんだい?」
 我ながら陳腐な質問だ。どうしたもこうしたも、消滅してしまっているに決まっている。だからこそ自分がここに来ているのだから。
「いないわ……」
 まるで消え入りそうな声で返ってきた返事は、オレの考えを裏付けるものだった。
「みんな……誰もいないわ……」
 その言葉の奥に秘められた無気味な響きに、オレは僅かに後ろに下がる。先程までとは打って変わったような妙な生気が少女の身体から発散され始めたからだ。
「だって、わたしがみんな消しちゃったんだもの」
 マズイ! 何かをはっきりと感じ取る間もなくオレの直感がそう告げる。
 この少女は危険だ、と。
「あなたもわたしを苛めに来たんでしょ……だったら、みんなと同じ場所に行ってよ」
「待て! オレはキミを苛めるつもりなんかないぞ!」
 何を言っても無駄だろうとは思いつつも、一応は言っておく。
「オレはこの村の調査に来ただけだ。キミを助けこそすれ、苛める理由もつもりもない!」
「嘘吐き……この村の人達は皆嘘吐きだったわ」
 その両目に、怪しい光を宿しながら少女が言う。
「みんな口では優しい事を言いながら、それでも本心ではわたしを憎んでいたわ」
 まるで幽霊が立ち上がるように、ゆらりとした動きでリーナが立ち上がる。
「いえ、違うわ……恐れていたのよ。だからこそ、みんな私を迫害した……」
 立ち上がると同時にリーナの身体から怪しげなオーラが出現する。殺意、では無い。強いて言うならば、虚無感……もしくはそれ以上の何かだ。
「あなたもそうでしょう、審問官のお兄さん」
 およそ感情という物を感じさせる事のない冷たい瞳。さっきとは逆に冷たい生気に満ち溢れた輝き。
「もう、わかったでしょう」
 それまで無言でやりとりを聞いていたクレアが、徐に口を開いた。
「その娘が、全ての発端だったのよ」
 馬鹿な……。とは口から出なかった。