Story前のページに戻る

無限の螺旋迷宮

序章

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章

終章



 突然連絡を断った寒村の調査を命ぜられた審問官シード。
 目的地に向かう途中、シードは妙な少女と妙なきっかけから連れ合うハメになる。
 やがてたどり着いた寒村で、シードが目撃する事になる現実。
 望まぬモノを否応なく手にしてしまった少女に、彼はなにを思うのか?

第一章

 確かに『神官職』と言う職業は、人々の尊敬と信頼そして社会的地位を保証してくれる数少ない存在である。それは認めよう。
 王族や貴族といった連中が世襲制であるのに比べ、神官になるのに少なくとも家柄の制限はない(少なくとも建前上では)。直接の上司ではないが、色々な意味で有名なカロン神官長は平民(それも再下層の)出身だし、同僚のティーン一等神官も特に著名な家柄の出身ではない。少なくとも、その点において(些か疑問符が付くものの)公平である事に間違いはない。
 しかし、だからと言ってそれが理想的な職場である事を保証はしていない。いや、この特殊な階級社会を維持する為に、その構成員には様々な負担を強いている。
 くだらない儀式と教義で全員を縛り上げ、つまらない慣習と風習で神殿を運営している。組織の官僚化は避けようのない必要悪である事は理解出来るが、いくらなんでも、アレは酷すぎる。信者はおろか、神官までその『教義』で洗脳しているのではないだろうか?
 カロン神官長が健在の頃はそれでもまだ随分とマシな状態を保っていたが、当人が栄転されてしまった(その実体は厄介払いとしか思えない)今となっては所詮過去の話に過ぎない。
 教義の教えが人としての正道を説き、この世界を安定に導く内容を持っている事を認めるのは吝かではないが、いくら正しくてもそれを強要するのは何か違うのではないだろうか?
 まぁ、こんな考えが神殿内で良い方に評価される筈もなく、当然ながら神殿内における立場はあまり良くない。実家が神殿内での実力者であるル・ウォーク家と懇意の中でなければ、とっくに審問官の地位から追われているに違いない。
 認めるのは癪にさわるが、この家系が故に今の地位を維持出来ているワケだ。まったく、面白くない。だがまぁ、運も実力の内と言うし、地位における特権も享受出来る間は悪びれずに受け取っておく事にするさ。遠慮した所で、実際の待遇が変わるワケでもないしな。

 おっと……オレの名前は、シード・クレインロッド。至高神の神殿に仕える一等審問官だ。神殿組織の中でもっとも汚れた仕事を担当している『異端審問官』だ。
 肩書きから解るとおり、オレは一般的に言うところの『神官』ではない。本来は『神官』とは別の組織なのだが、世間一般では同一の存在として認識されている。実際、神殿関係者以外には、あまりその違いは知られていないだろう。要は神政を扱っているかそれとも武力を扱っているかの違いがあるだけだ。
 当然ながらオレ達審問官と神政部の神官達とはあまり仲が良い筈も無い。似たような力量関係にある二つの組織があって何もかも上手く行くと思うのならば、それは『無知の幸』とよぶべきだ。
 その中でのオレの存在は、特に優秀でも無ければ将来を嘱望されているでもない、要するに落ちこぼれに近い程度だ。もっとも、オレ自身はそんな事など気にもならないが。
 今は神殿からの任務を受けて、目的地であるリレインという名前の寒村に向かっているところだ。もう一ヶ月以上もリレインの村にある神殿からの連絡が途絶えている。
 何しろ田舎の寒村だ。主要な交易路からは完全に離れているし、田舎では珍しくもないその閉鎖性が故にわざわざ訪れる物好きもいない。つまり、神殿でじっとしていた所で、何の情報も得られない。そこで最高法院は、リレインの村から一番近い場所にあるリーロック市の神殿に調査を命じ、そして調査を命ぜられた我等が神殿は体のいい厄介払いを兼ねて問題児である審問官、つまりこのオレを調査に派遣したワケだ。
 官僚主義と前例主義に凝り固まりおよそ効率的という単語には縁のない場所であったが、どうしてこの処置だけは妙に迅速かつ効率的だったな。
 ふん。事態が面倒になれば、誰しも自分に正直になってしまうという事か。まったく結構な事だ。
 正直言って面白くはないが、それでも神殿でつまらない日常業務を片付けるのに比べれば随分とマシだ。この任務を素直に拝命した理由は、結局のところその一言に尽きる。
 はん。何もかも馬鹿馬鹿しい。いっそ自殺でもしてやろうか。
 それはどんな地位のどんな人間にも与えられた最も公平で確実な現実逃避の方法だ。こんなつまらない現実に生きているぐらいなら……。
 ただ、残念な事に、オレはそこまで諦めは良くはない。せめて悟りの境地に達するまではこの惰性の生活を続けるだろう。もしくは何かのきっかけが与えられるまでは。
 そんな馬鹿な事を考えながら、オレは目的地へとゆっくり足を進めていた。

 その少女の存在に気が付いたのは、随分と近づいてからだった。何しろ相手は進行方向に対して反対側の並木の幹に背中を預けて立っていたのだ。すぐに気が付かなかったのも無理はないだろう。
 少しクセのある薄い金色の長髪が印象的な少女で、『美人』というよりは『可愛らしい』と言った方が的確だろう。年齢は十六ないし十七歳といったところか。生憎オレには年下趣味は無いが、数年先が楽しみな少女ではある。将来は間違いなく一流の美女だろう。
 余程大切な物でも入っているのか、自分の背丈の半分以上もある紫色の細長い布包みをしっかりと抱きしめている姿が妙に印象的だ。
 まぁ、オレには関係の無いことだが。一瞬声でもかけようかとも思ったが、結局やめておく事に決めた。さっきも言った通りオレは年下趣味の持ち主ではないし、別に用事もない。用事もない相手に話し掛けた所で、時間の無駄以外のなにものでもない。
「いいお天気ね」
 驚いた事に、先に口を開いたのは少女の方だった。こちらとしては無視するつもりだったが、こうなるとそうも言ってられない。神官着を着ている以上、個人の好みより神官としての対応を優先せねばならない。全く面倒な事だ。
「良いお天気ですね。お嬢さん」
 あまり驚かれては困るが、オレだって一応は神官の端くれだ。形式的な儀礼については一通り学んでいるし、それを実践する事だって出来る。外面と内面の使い分けが出来ないようじゃ、神官職はつとまらない。
「ひょっとしてあなた、リレインの村に行くつもり?」
 軽い笑みの表情を浮かべて、少女が尋ねてきた。
「ええ、その通りですよ。お嬢さん」
「よかった。もし違っていたらどうしようかと思ったわ」
 オレの返事に、少女は心底ホッとしたような表情を見せる。
「………?」
 オレは軽い不信の表情で少女の顔を眺めた。確かにオレはリレインに向かっている最中だ。だいたいこんな辺鄙な道を通って向かっている先など、わざわざ聞かなくても充分に解るだろう。それをわざわざ確認してくるとは……一体、何を考えているんだ?
「隠さなくてもいいじゃない」
 オレの軽い不信感を知ってか知らずか、妙に場違いに明るい声で少女が言葉を続ける。
「こんな道を通って行く先なんか、実際一ヶ所しかないものね。まぁ、間違ってたらイヤだから、敢えて確認させて貰ったけど」
「……それを確認してどうするんです?」
 敢えて平静を装いながらオレは尋ねかえす。
「もしリレインに行くつもりなら、是非とも私も連れて行って欲しいの」
 オレの質問に、少女はあまり真っ当だとは思えない返事を返して来た。
「はぁ……?」
 返事が思わず間抜けになってしまうのも無理はない。一体、この少女は何を言っているんだ? ひょっとしたらからかわれているのだろうか。
「旅は道連れっていうじゃない。こうして出会ったのも何かの縁だと思って、一緒に行かない?」
 まったく悪い冗談だ。冗談でないと言うのならば、タチの悪い悪夢なのかもしれない。
「私は重要な任務を拝命しています……残念ですが、その魅力的な申し出も、お断りするしかありませんね」
 できる限り平静を装いながら、これまた出来る限り丁重に少女の提案を断る。何だか知らないが、あまり真っ当な誘いだとは思えない。言葉は変だが、この少女、どんな下心を持っているやら知れない。
 まぁ、たかだか一等審問官に過ぎない自分を誑かしたところで何も得る物はない。いや、正確には神殿関係者を誑かした所で何一つ得る物はない。その点を考慮すれば、この少女がよからぬ下心を持っていると考えるのは些か疑り過ぎかもしれない。
「そんなこと言わないでよ」
 少し怒ったような表情でその少女は両手を腰に当てた。
「あなたが来るのを、折角待っていたのよ。そんな健気な女の子の言葉を無下に却下して、あなた良心が痛まないの?」
「あのなぁ……」
 その少女の無茶苦茶な言い様に、頭痛さえ覚えながらオレは返事を返す。
「何を待ってたのか知らないが、そんな無茶な言葉でオレを丸め込めれると本気で思っているのか? いくらなんでもそれは世の中を軽く見過ぎだぜ、お嬢ちゃん」
 余りにでたらめな会話の進行に、思わず地が出てしまった。ふん、オレもまだまだ修行が足りないな。
「世の中を軽く見ているのはあなたの方よ」
 少女の返事は、オレの想像を遥かに絶する物だった。
「なに、その口のきき方。仮にも神職者たる者が、そんな口を聞いていいの?」
「生憎オレはそんなくだらない形式に固執するタイプではないもんでね」
 ほとんど開き直ったような返事ではある。まぁ、事実開き直っているのだが。
「そんな事に気を使うより、自分らしい態度を取る方が大事だと思うね。神殿の教義にだって、自分に正直である事が正しいと書いてある」
「無茶苦茶な屁理屈よ。それ」
 少女の指摘に、オレは返事を失ってしまった。とんでもない屁理屈を口にしている自覚はあったが、改めて指摘されると腹が立つ。
「無茶苦茶な事を言っているのはお嬢ちゃんの方だぜ」
 かくなる上は話題を変えるしかない。
「だいたい始めて会った相手から突然同行を求められて、それを簡単に了承出来ると思うか? しかも自分の事を待っていたなどと言われて、それを信用しろと?」
「信用出来ないの?」
 少女の返事はあまり真っ当ではなかった。
「当たり前だ……ったく、今日は厄日かよ……」
「仮に騙されたとしても、あなたには何の問題も無いんじゃないの」
 頭痛さえ覚え出したオレに、更に追い撃ちを掛けるかのように少女が言葉を続ける。
「神官着なんか着てるけど、あなた異端審問官でしょ? 異端審問官と言えば腕利きが集まっている事で有名じゃない。もし問題があったとしても、実力で解決出来るでしょ?」
「……良くわかったな」
 その言葉で、オレはこの少女に対する認識を少々改める事にした。普通は神官(神政官)と審問官の区別は中々付かないものである。ましてや、今のオレは神官着を着用しているのだ。これで見分けが付くのは、余程神殿内部に詳しい人間だけだ。
「簡単な事よ」
 オレの言葉に、少女は特に自慢する風もなく答えた。
「神官着なんか着てるけど、あなたの首のマフラーの巻き方は間違いなく審問官のものだもの」
「どこでそんな事を知った? それに、この先の村に一体何の用があるんだ?」
 オレの質問に、少女は肩をすくめで見せた。
「あらあら……レディの事を詮索するのはあまり誉められた趣味じゃないわよ。そんな事より、お仕事でしょ。村に行かなくていいの?」
「胡麻化すな。こんなふざけた状況で、マトモに仕事なんか出来るか」
「ふざけた状況ね……でもね」
 些か苛立っているオレに、少女は呆れるような返事を返す。
「あなた、知らないの? ほら、『事実は小説よりも奇なり』って言うじゃない」
 いや、まぁ、確かにそんな諺もあったような気がするが、それとこれとでは話がかなり違うような気がする。第一、無茶を言ってる当人から言われる言葉でもない。
「いや、それとは少し違うと思うが……」
「じゃぁ、なに。あなたはこんな辺鄙な場所に、か弱い少女を一人置き去りにしても平気なワケかしら?」
 置き去りもなにも、その辺鄙な場所とやらに今まで一人でいたんじゃないのか? そういう言葉が喉から出かかったが、辛うじて飲み込んだ。今までの反応から考えて、そんな事を言った所でまともな対応が返ってくる可能性はほぼ皆無だ。
「……ともかく素直にお家に帰るんだな、お嬢ちゃん」
 身体中に怒鳴りつけたい衝動が走っていたが、辛うじて自制する。こんな歳の少女を相手に、本気で怒るのも大人気ない。
「でなければ、この先どんな面倒に巻き込まれるかも知れんぞ」
「あら? 心配してくれるの?」
 いともあっさり、しかも涼しい表情で少女はそう答えた。
「………」
 思わずオレは髪の毛をかきむしってしまった。何なんだ、このお嬢ちゃんは? 常識がどうとか、一般論がどうとか言うレベルの問題ではない。何かこう、根本的な面に問題があるのではないだろうか? それとも人間性の問題か?
「こんな場所に女の子一人は危険な事は、あなたも認めたとおりよ。私をエスコートするのは、紳士として当然のたしなみじゃない?」
「……勝手にしろ!」
 結局、オレに言えた台詞はこれだけだった。

 リレインの村に、別に変わった点は見受けられなかった。建物はちゃんと立っているし、少なくとも火災や地震などの天変地異の影響を受けた後は見受けられない。それに盗賊や野盗が襲撃してきた形跡も見当たらない。全く平穏かつ正常な状態だ。
 まぁ、敢えて正常じゃない点を上げるとすれば、何故か全く人の気配がしないことぐらいか。
「一体、何がどうなってるんだ?」
 頭を掻きながら、オレは呆然と口を開いた。何も異常な点は見受けられないにも関わらず、この村には全く人の気配がしない。少なくとも、異変が起きる直前まで人がいた形跡があるにも関わらずにだ。
 天変地異やならず者の襲撃で村人が犠牲になったと言うのならばまだ理解も出来るが、村の外見からはそんな兆候は見当たらない。考えられる事と言えば村人全員が夜逃げした可能性ぐらいだが、いくらなんでもそれは非常識だ。
 だいたい家財道具一切に手を付けず、着の身着のままで夜逃げするなんて馬鹿な話がある筈もない。仮にあったとしても、少なくとも百人以上はいた筈の村人達はどこへ逃げてしまったと言うんだ? 洒落にもならない。
「まったく、冗談じゃないぜ」
 ぶつくさ呟きながら、オレは手近の店の軒先から商品のパンを取り上げた。長い間放置されていたはずなのに、そのパンはまるで焼き上げられたばかりのようだ。とは言え、流石にかじってみる気にはなれないが。
「本当に、誰もいないわね」
 近くの民家から例の少女が顔を出した。勝手にしろと言ったら、本当に付いて来やがったのだ。まぁ、ああ言った手前、こっちとしても現状を受け入れるしか方法はないのだが。
「何か面白いモンでもあったか?」
 この少女相手に形式を守る気にもなれず、地のままの言葉で尋ねる。まぁ、さっきあれだけ地をばらしてしまったのだから、今更見栄をはっても仕方ない。
「そうね……あなたも入ってくれば解るわよ」
「……ったく、勿体をつけるなよ」
 ぶつぶつ言いながら、それでもオレはその家に足を踏みいれた。広いとは言えないものの、逆に狭いとも言えない部屋。まぁ、この辺では平均的な大きさの家だ。
「どう思う?」
 少女は部屋のテーブルを指差しながらオレに尋ねた。テーブルの上には四つの皿がおかれ、中央にはおかずの広皿がおいてある。お茶でも入ってるらしいポッドも用意され、暖炉には中身の入ったスープ鍋が掛けられていた。呆れた事に、未だ温かそうな湯気を立てている。
「食事中、だったのかな?」
 しごく素直な感想をオレは口にした。この状況からはそれ以外に推測しようはない。
「変だと思わない?」
 少女の言葉に、オレは軽く頷いた。確かに変だ。この状況から推測する限り、この家の住人達は食事中に突然どこかへ去っていったとしか思えない。いくらなんでも、そんな馬鹿な話があるのだろうか? もしあったとしても、一体何の理由があって?
「念の為に他の家も調べてみたけど、皆似たようなものだったわ」
 すっかり混乱しかけているオレに、少女が言う。
「本が開かれたままの家や、カウンターに商品とその代金が置かれたままの店。それに井戸の周りには水を汲みかけの壷がいくつも置いてあったしね」
「となると、結論は一つしかないな……」
 オレは慎重に言葉を続ける。
「ある日突然、村人達は瞬間的に蒸発してしまった。それも当人達の意志に関わりなくだ」
 そう考える以外に方法はない。食べかけの食事、買い物途中の店、そして汲みかけの水壷。それらを残したまま村人達は消えてしまった。
 理由は解らない。
 だが、これだけは言える。この村の住人達は、文字どおり消滅してしっまたのだ。それも恐らくは瞬間的に。でなければ、この状況は説明出来ない。どんな事があったにせよ自分の意志で去って行ったのならば、それなりの痕跡が残る筈だ。
 だが何があったとも思えないのに、この村は人だけが消えてしまっている。無茶苦茶だか、そう解釈する以外に方法はない。
「何よそれ?」
 当然ながら、少女はそんな言葉で納得したりはしなかった。
「本気でそんな事を思ってるワケ?」
 心なしか馬鹿にされているような気がするものの、それで腹が立ったりはしない。相当に無茶な事を言っているのは、自分でも良くわかっている。これが他の人間の台詞だったら、間違いなく殴り倒しているところだ。
「まさか。だが、今のところ他に解釈のしようはない」
 オレの返事に、少女は面白そうに軽く笑みを浮かべた。どうやら、自分も同じ意見だったらしい。
「村の事は、これ以上気にしても仕方が無い」
 そう言いながら、オレは出口から外へ向かって歩き出した。
「どこへ行くの?」
 慌ててオレの後を追いかけて来ながら、少女が尋ねて来る。一瞬シカトしてやろうかとも思ったが、まぁ、そこまで邪険にする理由も思い付かず、それでも足は止めずに答えた。
「神殿だ。オレの本来の仕事は、神殿の異常の有無を調査する事だ。村の事など、所詮は二次的な仕事に過ぎない」
 オレの返事に、少女は感心したというよりは、呆れたように答えた。
「……真面目なのねぇ……」