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合わせ鏡の少女

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章



 古い想い出と気の合う友人。
 そんな理想的雰囲気に囲まれて神殿の勤めを果たしていたカロンは、ある日古い記憶を呼び覚ます少女と出会う。
 それは、それから始まるてんやわんやな日々の幕開けであると同時に、また一つの陰謀の始まりでもあった……。
 古い思い出と組織の陰謀……その二つが交叉する中、カロンは否応なく現実へと直面する事となる。

第四章

 深夜。ファインアート神殿は完全な静寂の中にあった。空はどんよりと曇っており月は見えず、闇の帳は完全に周囲を漆黒の空間としている。風は吹いていなかったが全体的に湿っぽい空気が周囲を支配しており、降雨が近い事を暗黙の内に示していた。

 人気の無い神殿内を、三つの人影が進んでいた。全員が黒装束で身を固め、顔さえも黒色の布を巻き付けて目以外の場所を覆っている。片手にはブレードまでを漆黒に塗り上げた短剣を持ち、明かに訓練された無駄の無い動きを見せている。
 ふと、先頭を走っていた一人が立ち止まった。そしてゆっくりととある一点を指で指し示す。その先には未だ明かりの漏れている窓があった。確かそこは神殿の執務室だった筈だ。
 その光を見て一人が軽く舌打ちしたものの、結局は無視する事に決めた。自分達に課せられた任務への直接的障害になるとは思えなかったし、今は時間も惜しい。それに何と言っても、いらぬ事に手を出して騒ぎを大きくするのは好ましい事では無い。自分達の目的は飽く迄も隠密を持って良しとすべきものであり、予定外の行動で時間を浪費するわけにはゆかないのだ。
 三人は慣れた足つきで廊下を走り抜け、やがて居住区へとたどり着く。予め調べ終わっているのか、迷うこと無く一つの扉の前で立ち止まった。
 黒装束の一人が軽く合図すると、他の一人がトアノブに手を掛けて施錠を確認する。鍵がかかっている事を確かめると、今度は細い針金で鍵をこじ開けにかかった。神殿の居住区の鍵などたかが知れている。ものの数分とたたぬ内に乾いた音と同時に鍵が外され、三人は室内へと侵入する。
 三人が想像していたよりも、遥かに室内は簡素だった。一組の机と椅子に寝台、壁際に設置されたクローゼット。寝台の側には大きな鞄が無造作に置いてある。装飾品と呼べるのは壁に掛けられた一枚の油絵と、寝台の小さなナイトテーブル上に置かれた花瓶ぐらいだ。事前に渡された資料からもう少し派手な室内を想像していた三人は、些か拍子抜けした様子でお互いの顔を見合わした。壁に掛けられた女物の神官着だけが、この部屋の持ち主が女性である事を示している。女性なんだから、もう少し飾り気があっても良さそうな物だと三人が考えたのも無理は無い。
 三人が無駄な思考に時間を費やしていたのは、そこまでだった。彼等には果たすべき任務があり、無駄な思考に時間を割いている余裕は無い。今必要なのは、規定された計画に従った的確な行動だけだ。
 一人が素早く入り口の外へ移動し、残りの二人がゆっくりと寝台に近づく。周囲には明かりとなる物は何一つなかったが、それでも二人は寝台に一人の女性が寝ているのを感じ取っていた。
「貴女に罪は無いのだが……フレイア嬢、貴女にはあの男への警告となってもらう」
 低い言葉と同時にゆっくりと短剣を持ち上げる。殺すまでの必要はないが、腕の一本ぐらいは頂く。もっとも止血などしてやるつもりも無いから、早めに発見されない限り失血死はまぬがれないだろうが。
 男の腕が振り下ろされ、同時に刃が肉に食い込む鈍い音が室内へと響いた。

「……ん?」
 何となく嫌な予感を感じて、僕はゆっくりとペンを降ろした。昼間は来客の対応に追われてしまい、ついに仕事がこんな夜半まで食い込んでしまった。
「だから言っただろ、君はお人好し過ぎるんだよ。どうでもいいような用件は適当な所できりあげないと、そのうち過労死しちまうぞ」
 心底呆れたような表情でフェーンはそう言ったが、特に手伝うつもりは無いらしく薄情にもそのまま帰って行ってしまった。
 まぁ、元々僕の仕事なんだから恨み言を言うつもりも無いけど。
「なんだか、落ち着かないなぁ……」
 僕は机から離れると、ゆっくりと窓に近づいた。既に深夜と言って差し支えない時間の神殿内はまったくの暗闇で、遠くから微かに虫の鳴き声が聞こえる程度だ。大聖堂の方には不寝番の神官がいる筈だが、残念な事にこの窓とは方向が逆だ。
 窓の外には黒々とした風景が見えているだけで、別に何の異常も見られない。だけど何故か僕は不安感を消す事が出来なかった。
「ちょっと、神経質になっているのかな……?」
 ここ数日間と言うものの、あの破天荒な異端審問官のお陰で全く心休まる時が無い。別にそれを苦痛とは感じていなくても、疲れが溜るのはやむを得ないだろう。
 少し夜風に当ってみよう。そうすれば気も少しは晴れるかも知れない。

「ぐっ……」
 短剣を振り下ろした男が低いうめき声を漏らす。訓練されたプロらしく、大声で悲鳴を上げたりはしない。
「………?」
 背後に立っていたもう一人の男には、それはタチの悪い手品だとしか思えなかった。短剣を振り下ろした相棒の背中から、細剣の刃が飛び出している光景など。
「……ったく、レディの部屋を訪ねるにしては、時間も態度も不似合いだよ。キミ達」
 毛布をはね退けて女性が立ち上がる。同時に突き刺された男がずるずると崩れ落ちた。ただの一撃で絶命に至っている事に、疑いようは無い。
「お前……!」
 叫び声にならないギリギリの音量で残りの一人は口を開いた。彼等の神殿が立てた計画が、その根底から崩れつつある事を思い知らされる。
「キミ達の目標であるフレイア・ジェルシード嬢でなくて、悪かったね」
 言葉とは裏腹なまったく悪いと思っていない口調でその女性が言う。
「あんまり遅いから、部屋を間違えたんじゃないかって心配してたよ。わざわざ頼み込んで部屋を変えて貰ったのに、当人達が来ないんじゃ話にもならないからね」
「何者だ……貴様」
 やや自分を取り戻した男が低い口調で尋ねる。計画は失敗したが、まだ何もかも駄目になってしまったワケではない。この場さえ切り抜ける事が出来れば、まだ幾らでもチャンスはある。
「ボクの名前は、ここではオーフィリア・コナリー……という事になっているよ。今の所は、キミ達と同じく異端審問官さ」
 まるで小馬鹿にした口調で女性、オーフィリアは答えた。
「まったく、ネズミ共があれこれ嗅ぎまわっているというのに、当の本人は何処吹く風と言った様子だからね……カロンがもう少し用心深ければ、ボクもこんな苦労はせずにすむんだけどね」
「何故、我らを審問官だと言う?」
 男の問いに、オーフィリアは面倒臭そうに答えた。
「その喋り方で、まさか野盗名乗るつもりじゃないだろね。それにその訓練された動きは審問官特有のものじゃないか」
 あっさりと言い切ったオーフィリアの言葉を、男は否定しなかった。逆にオーフィリアに対して質問を発する。
「異端審問官が、何故我らの邪魔をする。奴は我らが主にとっては危険過ぎる存在だ。お前も神殿に仕える身ならば、我らの邪魔をするな」
「ふふん」
 さも可笑しそうにオーフィリアが鼻で笑う。
「生憎だけど、ボクは神殿に仕えてはいないよ……どちらかと言うと、神殿に仕えて貰う立場だと思うけどね」
「戯言を!」
 短剣を振りかざした男がオーフィリアに飛び掛かる。目前の女性は自分達の企みを知って、なおそれを妨害しようとしている。であれば、こちらとしても遠慮する必要は無い。
「『導かれし者達』の分際でボクに剣を向けるなんて、愚かなのにもホドがあるよ」
 男の短剣が身体に届くよりも早くオーフィリアの細剣が一閃し、男の喉元を切り裂く。赤い噴霧のような鮮血を撒き散らしながら、男は鈍い音を立てて地面に激突した。わざわざ確かめるまでも無い。即死だ。
「まったく、後片付けが大変だよ」
 二人分の死体と、その身体から流れ出る鮮血。死体は明日衛士にでも強盗として引き渡せばいいが、血糊ばかりは洗わなくては仕方が無い。しかも、神殿ボランティアがそんな清掃を喜ぶ筈もないだろう。
 ドアの外で何者かが走り去る足音が響く。
「……やれやれ、もう一匹いたか……」
 ため息と同時にオーフィリアは軽く呟いてから、残りの一人の後を追いはじめた。

 計画は失敗した。失敗したどころかしたたかな反撃を受け、あまつさえ自分の命さえ危うい。ここは急いで本拠地に戻り、計画が完全な失敗を遂げた事を報告しなくては……。
 だが、それは余りにも難しい望みだった。後ろから追いすがって来たオーフィリアの投げたナイフが右脇に突き刺さり、男は地面に倒れこそしなかったものの、大幅に行動力を削がれてしまったのだ。
「くそっ!」
 男は悪態をついたがどうにもならない。どこかに隠れた所で点々と残る血痕が自分の居場所を教えるだろうし、この負傷した脚ではとても逃げきれない。反撃するという方法も無いワケでは無いが、大騒ぎになっては非常にまずいし勝ち目も無い。
(一体、どんな奴なんだ……?)
 自分で室内の様子を観察した訳では無いので、情報は全くの皆無だ。ただ、少なくとも油断出来る相手で無い事だけは確かだ。
(逃げるにしても……こいつはちょっと厄介だな……)
 捕まる事だけは絶対に許されない。自分が捕われ、真実が露見しては非常にまずい。神殿の権威に関わるどころか、我らが主の威光にさえ関わる。
(捕われるぐらいならば、いっそ……)
 自害。そんな単語が頭を過る。今回の計画は何があっても露見してはならぬ。しかし今の自分は自力での脱出も難しく、救援が来る望みはまるで無い。真実を隠しとおすには自分が死んでしまうのが一番の道だ。死体であれば単なる野盗の類として片付けられ、真実に目を向ける者はいないだろう。
 合理的ではあるものの、悲壮としか言いようの無い決心を男がしかけた時、逆転のチャンスが訪れた。

「誰かいるのかい?」
 深夜の通路を、特にこれと言った用事も無く歩いていた僕は、騒々しい人の気配を感じて、ふと立ち止まった。通路の曲がり角に誰かいるような気がする。こんな夜中に通路を歩く物好きが神殿内にいるとも思えないが、気配があるからには実際誰かいるのだろう。
「こんな夜中まで起きていたら、明日の勤めに差し支えるよ……」
 この先にいる誰かは、多分寝付きの悪い神官だろうと僕は思った。そう言えばティーンは最近不眠症気味だと言っていたし、それほど大袈裟に考える必要も無いだろう。
 だけど、事態は僕の予想と全く違う緊迫した物だった。
「おとなしくしろ!」
 鋭い声と同時に黒装束の男が掴み掛って来る。勿論、僕程度の運動神経で相手の動きをかわせる筈も無い。自分でも些か情けない事に、あっさりと黒装束の男に身体を拘束されてしまった。
 やや遅れて今度はオーフィリアが駆けつけて来た。そして、僕の状況を視界に収めると、大袈裟な身振りで肩をすくめてみせた。
「やれやれ……キミって人は、とことんトラブル好きみたいだねぇ……」
「出来れば現状を説明して貰えると嬉しいんだけどね」
 背中に押し当てられている短剣の感触に冷たい物を感じながら、それでも務めて平静を装いながら僕が尋ねる。
「突然こんな状況に追込まれても、僕としてはどう対処していいのか判断に困るよ」
「今のキミに必要なのは、言葉では無くて行動だと思うけどね」
 何と言っていいのか解らないといった表情でオーフィリアは言葉を続けた。
「それにしたって、もう少し慌てるとか焦るとか、人並みの反応をしたらどうだい? とても我が身が危険にさらされている人物の態度とは思えないよ」
 今度は僕が肩をすくめる番だった。
「そんな事を言われてもね……こうも突然だと、どう反応していいのか非常に困るね。困るにせよ焦るにせよ、どう反応した物やら判断も出来ない」
「馬鹿な茶番はそこまでにしろ」
 僕の身体を拘束している男が苛立たしそうに口を開く。
「少しは己の置かれている立場という物を自覚したらどうだ? 貴様は人質なんだぞ」
「じゃぁ、早くその凶悪犯らしく要求を言ったらどうだい? まさか、カロンを人質に取っただけで満足しているワケじゃないだろ?」
 人質を取られている事の意味が解っているのやら解っていないのやら、殊更男を挑発するようにオーフィリアが言う。
「ボクとしても、こんな馬鹿騒ぎはさっさと片付けてしまいたいからね。協力して貰えると非常に有り難いよ」
 どう考えても人を小馬鹿にしているとしか思えないオーフィリアの言い草にも、男は腹を立てたりはしなかった。
「そうだな……では取り敢えず身の代金として交易金貨千枚というのはどうだ? この男がカロンならば、悪い取り引きではあるまい」
 呆れる程の大風呂敷を男が披露する。全く冗談では無い。金貨千枚と言えば、この神殿の年間予算を上回る金額だ。冗談にしても本気にしても、とても払える金額では無い。
「つまり、ハナから交渉する気はないワケだね」
 今のやり取りで一体何が解ったのか、妙に納得いったような表情でオーフィリアは口を開いた。
「散々無茶な要求でごねた後にカロンを殺し、自分も死ぬ覚悟なワケだ……いやはや実に恐れ入ったよ」
 オーフィリアの言葉に、男は妙に清々しい言葉で答えた。
「大した慧眼だな……で、それで貴様は一体どうする? どの道この男は殺されなくてはならない。それが多少早まった所で何の問題もないし、それが強盗の仕業とあらば誰一人疑問を挟みもしまい」
「大したアドリブだね。流石は選ばれただけの事はある」
 オーフィリアは腰に軽く手を当てた。
「だが、その才能をあたら無駄遣いしているとしか思えないね」
 心底残念そうにオーフィリアが言う。
「あんな虚栄心の塊であるイシス・ハーンに盲目的に仕えてて、少しは疑問ってものを感じたりはしないのかね?」
「貴様!」
 激しい怒声と同時に、僕の右脇に鋭い痛みが走る。故意か偶然にかは解らないが、興奮した男の動かした短剣の先が僕の右脇を傷つけたのだ。
「審問官の身でありながら、我らが主を愚弄するのか!」
「僕に言わせるならね」
 激情する男とは逆の、全く落ち着いた態度でオーフィリアが答える。
「イシス・ハーンは自ら自分の『至高神』という名を汚しているとしか思えない。全く身内とは言え、嘆かわしいことさ……」
「………!」
 興奮のあまり言葉にならない大声を上げながら、男が短剣を振り上げる。僕が覚悟を決めると同時にオーフィリアが始めて真剣な声で叫んだ。
「出来るだけ背を低くするんだ、カロン!」
 言葉が耳に届くや否や、僕はありったけの反射神経を駆使して身体を前に屈める。やや遅れて男の短剣が頭上を掠め、何本かの髪の毛が切断された。  ニ撃目は無かった。オーフィリアが腰のベルトから抜き投げたナイフが短剣を持った男の手首の動脈を切り裂き、短剣が手から滑り落ちてしまったのだ。
「ひぁっ!?」
 男が驚愕の表情を浮かべる。それは奇蹟としか表現のしようが無い神技だった。だがそれは序の口に過ぎない。体勢を崩した男へ驚異的な踏み込みで一気に間合いを詰めた彼女の細剣が男の首と胴を完全に分断してしまった。多分、男には何が起きたのかを理解する余裕さえ無かっただろう。
 やがて騒ぎを聞きつけたらしく、大聖堂の方からいくつもの足音が響いて来た。