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合わせ鏡の少女

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章



 古い想い出と気の合う友人。
 そんな理想的雰囲気に囲まれて神殿の勤めを果たしていたカロンは、ある日古い記憶を呼び覚ます少女と出会う。
 それは、それから始まるてんやわんやな日々の幕開けであると同時に、また一つの陰謀の始まりでもあった……。
 古い思い出と組織の陰謀……その二つが交叉する中、カロンは否応なく現実へと直面する事となる。

第二章

「昨日はまた、例の場所に行ってたのかい?」
 神殿執務室に入るや否や、いつもの皮肉めいた口調でフェーンが言う。
「あぁ……ちょっとね」
 フェーンの言葉を軽く交わして、僕は自分の机についた。たった一日の間に未決済の書類が山のようにたまっている。やれやれ、僕が神官になってからに限定してもこの神殿組織という所は、随分と官僚化の波が進んでしまったようだ。まぁ、官僚化の全てが悪い事じゃない。書類のあった方が手軽にすむ問題というのも存在するし、書類化によって一部作業の効率があがるのも確かだ。書類の全てを否定するのは決して誉められた事では無い。
 とは言え、この書類の多さに些か辟易しているのも確かだ。何だか神官長の重責を背負ってから、書類の決済ばかりやっているような気がする。まぁ、楽で良いと言えば楽て良いのだが、何だか本来の役目とは随分違う事をしているような気がする。
「まぁ、この職場は、些か君にはストレスが多いだろうかね」
 向い側の机で神殿長の仕事をこなしていたフェーンが悪戯っぽく笑う。
「だけど仕方ないね。何しろこの神殿にいる高級神官どもと言えば、君も知っての通りあの政争ばかりにかまけている連中ばかりだ」
 そう言いながら、フェーンは机の珈琲カップを取り上げる。
「揚げ句の果てには、お互いの足を引っ張りあって自滅。結局政治的に一番白かった君が神官長として選出されたワケだ。彼等の愚劣さは失笑のネタにもならないが、突然重責を背負わされた君の境遇には同情するよ」
「よしてくれよ……それでなくとも不似合いな自分の境遇に辟易してるんだから」
 カロンは自分のカップに手を延ばした。残念ながらと言うよりは、当然ながらカップの中は空っぽだ。
「……なにを言ってるの」
 右手首に神殿秘書官である事を意味している緑色のブレスレトをはめたフレイアが、豊潤な香りの漂うポットを運んで来ながらゆっくりと口を開いた。
「あの自滅騒ぎで先任順位が変化したのは事実だけど、貴方にはそれだけの力量があるんじゃないの。もっと自信を持ちなさいよね、カロン」
 神殿執務室には今の所僕達しかいない。そのせいかフレイアの口調も私生活でのそれだ。他に人がいればフレイアもそれなりの態度を見せるのだが、司祭長は欠員(事実上フェーンが統括している)だし、女官長は最高法院のあるヴァリア・ポリスに出掛けて不在。こんな状況下では多少の公私混同があっても仕方はないだろう。
「自信、ね……それが自惚れに繋がら無ければ良いのだけどね」
「自惚れ? なに言ってるの、貴方みたいに自意識不足な人が自惚れたり出来るモンですか」
 空のカップに煎れたての香茶を注ぎながらフレイアが言う。
「将来の自惚れを心配する前に、もっと自分に自信を持ちなさいな、カロン。貴方にその資格が無いのならば、決して下級神官達は貴方に従ったりはしないのだから」
「期待を裏切らぬよう、精々努力するよ」
 そう僕が答えたとき、不意に部屋の外から呼び鈴の音が聞こえて来た。
「あら、どうしたのかしら?」
「悪いけど、フレイア。ちょっと見て来てくれないかな」
 フレイアにフェーンが言う。その言葉にフレイアは軽く頷いてから、部屋から出ていった。
「……あまり良く無い話があるんだけどね」
 フレイアが部屋から出るのを確認してから、フェーンは徐に口を開いた。
「先日、我らが主のお気に入りの戦乙女が一人、ある男に倒されたらしい」
「それは……何と言うか、えらく大したものだね」
 戦乙女と言えば、主である至高神が世界に誇る最強の誉れ高き戦士達である。ライバルである竜騎士達から至高神の威光を守るのが役目であり、人間はおろか竜騎士でさえ彼女達を打ち破る事は容易では無い。その戦乙女を倒すとは、一体どれ程の力を持った者なのだろうか?
「あぁ……我が主は大層御立腹らしく、最高評議会は主の逆鱗に触れぬよう努力するだけで苦心惨澹たる状況らしい。全く馬鹿な話さ」
「それで、何が悪い話なんだい?」
 確かに戦乙女が失われたというのはショッキングな内容い違いない。だが、それは僕のような一等神官には何の関係も無い話である。一体、フェーンは何を……。
「……では、その男が調停神の関係者らしいと言ったら?」
 僕の疑問に、フェーンは直接的な言葉で答えた。
「………」
「今まで君が調停神について幾つかの論文を発表しても、それはただ無視されるだけで済んでいた。だが、これからは違う」
 言葉を失っている僕に、フェーンがまるで言い聞かせるように言う。
「悪い事は言わないから、暫くは自重するんだ。でないと僕ももう庇いきれなくなる」
 重苦しい沈黙が部屋を包み込む。僕もフェーンも、お互いにこれ以上言うべき言葉を持っていなかった。
 その沈黙を破ったのは、執務室に戻ってきたフレイアだった。
「……新任の方が尋ねて来ているわよ」
 執務室に入ってくるなり、フレイアが言う。その言葉を聞いて、フェーンは表情をしかめて見せた。
「新任? おかしいな……ここ当分の間、予定に新任の赴任は含まれていなかったと思うんだが……」
 フェーンの言葉に、フレイアも困ったような表情を浮かべる。
「とは言っても、本人がそう名乗っているんだから……まさか追い返す訳にもゆかないでしょう?」
 確かにそれもそうだ。いくら予定に無いとは言え、尋ねて来た者を無下に追い返す訳にも行かない。取り敢えず話ぐらいは聞いておくべきだろう。
「いいよ、僕が行って話を聞いてくるよ」
 書類を棚に戻しながら、僕は腰を上げた。
「フェーンはその溜っている仕事を片付けてたらいいよ。わざわざ君の手を煩わせる必要もないさ」
「……悪いな、カロン」
 フェーンが謝るように言う。本来ならばこの手の対応はこの神殿の総責任者であるフェーンが行うべきだ。だが、彼は自分の仕事で手一杯の状況だ。であれば当然ながら、次席である僕が出向くのが当然の結論である。
「いいよ、別に気にしなくても。もし僕の手に負えなかったら、すぐに代わってもらうから」
 僕の言葉にフェーンは、呆れたような苦笑いの表情を浮かべた。

「……だから、突然そんな事を言われても困りますよ」
 僕が神殿広間に行くと、中でティーン二等神官が心底困ったように突然の訪問客に対応していた。訪問者は丁度僕の方に背中を向けており、顔は見えない。
「なによ、若いくせに細かい事にこだわるわねぇ」
 何だかどこかで聞いた事があるような声だ。いやまぁ、そんな事よりこの声質から考えて、どうやらまだ若い女性らしい。
「細かい事って……ともかく、規則は規則です! 紹介状も辞令も無く、ただ赴任してきたなんて言われて、誰が納得すると思っているんですか!」
「じゃぁ、なに? ボクが嘘をついてるとでも? 仮にも二等神官たる者が、根拠も無く人を疑ってもいいワケ?」
「だ・か・ら! そういう問題じゃないでしょう。突然押し掛けてこられても、こちらとしても準備や対応と言った事情があるんですからね!」
 ティーンの正論に、しかし訪問者の方は少しも納得しようとはしない。
「もう、いいわ! あんたみたいな下っ端じゃ、話にもならないわ」
 ついに我慢の限界に到達した(今までも充分我慢していたようには見えないのだが)らしく、訪問者は遂に有無を言わさぬ勢いで言葉を続けた。
「あんた、目ちゃんと開いてる? 私の方が貴方より上位者なのよ、上位者。何でもいいからもっと上の人呼んで来なさいよ!」
 訪問者は自分のマフラーを指差す。それは確かに二等神官以上の地位を示している物だった。
「失礼なのは貴方の方でしょう。貴方の要請に応じる必要も感じませんね」
 だが、その程度の事でティーンは怯まない。本来神殿において階級差は絶対的な物であるのだけど、今までの会話から既に開き直ってしまったのかもしれない。今更態度を改めるのは、確かにあまり格好良い物ではないが。
「むっかぁ! あんた、ちょっと生意気よ!」
 階級差にも怯む様子を見せないティーンに、訪問者はますますいきり立つ。
「お互い様ですよ! 水でもブッかけられない内に荷物をまとめて出ていったらどうです!」
 ギン! という効果音でも聞こえて来そうな程ギスギスした空気が二人の間に立ちこめる。場所が神殿で無ければ、取っ組み合いの大喧嘩になってたかも知れない。
 おっと、いやいや。いつまでも見物している場合ではない。一瞬やっぱりフェーンに任せておいた方が良かったかな、と後悔の念が過ったが今更引き返すわけにもゆかないだろう。
「あー……ちょっと良いかな?」
 やっと割り込むタイミングを掴み、僕は二人の間に割って入った。あまりに険悪な雰囲気に、参拝者はともかく他の神官達まで後ろに引いている。
「この空間は。曲がりなりにも我が主の威光を称えるべき神聖な場所だよ。元気が良いのは結構だけど、もう少し場所をわきまえてくれないかな」
「神官長……!」
「なぁに、やっとこの躾のなってない神官の上司が御登場なわけ?」
 ティーンと訪問者がそれぞれ異なった反応を示す。前者は明かに安堵のそれであり、後者は新たな獲物の出現を喜ぶ猟犬のそれだった。
「だいたい、聖都の大聖堂付き神殿にしては、ここの神官は質が低すぎるんじゃないの? 一体どういう教育を……」
 振り返りながらそこまで言った訪問者の言葉が、僕と顔を合わせた途端に途切れる。僕の方も似たような状態だった。訪問者は明かに二十代に到達していない女性、それも見覚えのある少女だったからだ。首に巻いてあるスカーフが、彼女が異端審問官である事を何よりも雄弁に語っている。
「あれ?」
 訪問者である少女が、少しバツの悪そうな表情を浮かべる。まるで悪戯が見つかってしまったお転婆娘のような表情だ。
「なぁんだ……キミも同業者だったんだ」
「残念ながらお世辞にも、心暖まる関係とは言えませんがね」
 僕の言葉に少女は軽く肩をすくめた。
「それでも同業者には違いないさ。少なくともボクとキミは一応同じ神を信仰している筈だけどな」
「そうですね……この不幸な関係が早く解決される日が来る事を祈っていますよ」
 僕達神官と異端審問官は、同じ神を信仰する同志という事になっている。少なくとも制度上は。だが、実際にはそう簡単にはゆかない。異端者を探し出し迫害する任務を背負った審問官を神官は『野蛮人』として侮蔑し、崇高な理想だけを唱えあげ一切の汚れ仕事を避けている神官を審問官は『口先だけのエセ聖職者』として嘲笑っている。そんな関係が友好的なものであろう筈もなく、その軋轢は下部組織になる程高まっていた。この神殿内に限っても、神官と審問官のいさかいが絶えたためしがない。
「そんな事よりさ、ところで一体ボクは何時までこんな場所に突っ立ってなければならいのかな?」
 やや考え事に注意を奪われていた僕に、少女は足元の鞄を持ち上げながら声を掛けて来た。
「確か、前任者のロッホ一等審問官殿が引退なされて二月ほど立っていたね?」
 少女の言葉に直接答えず、僕は話しかけながらティーンの方を振り返った。
「はい……ですがいかに系列が違うとはいえ、その後任者が確固たる書類や証書を持たずして赴任してくるとは思えません」
 ティーンの言葉に、僕は軽く手を振る。
「いいさ、別に……異端審問官を騙る物好きなんか、いる筈もないからね」
「しかし……」
「それに実際問題として審問官殿の仕事は山積みにされたまま、少しも解決していない。いい加減交代の審問官殿が来なくては、執務室は未決済の書類で溢れかえってしまう。書類の不備や不手際は珍しい事じゃないしね、本人もああ言っている事だし、僕としては彼女の赴任を認めようと思う」
 その僕の言葉に、少女はやや表情を緩めた。
「話が早くて助かったよ……まったく、優秀なのは解るけど、頭が固過ぎるのも善し悪しだね」
 何か言いたそうな表情をティーンは浮かべたが、僕の手前か遠慮する事にしたらしい。不服そうな表情を浮かべただけで、一言も口にはしなかった。
 そんなティーンの態度を更に逆なでするように、少女は自分の額に軽く右手を当てながら崩れた態度で会釈する。
「オーフィリア・コナリー一等審問官です。どうぞ、宜しく」
 くだけた態度の少女に、僕は姿勢を正して答えた。
「神官長である私、カロンの名において貴女の着任を認めます……ティーン君、彼女を審問官執務室へ案内して差し上げてくれないかな」
 別に嫌味でやっているわけじゃない。ただ、あんなくだけた態度はとても僕には真似出来ないだけだ。
「やっぱり、キミとは仲良くなれそうだ」
 意味深な含み笑いを浮かべながら、オーフィリアと名乗る少女は不承不承といった表情を浮かべたティーンの後を追って行った。
「ふぅ……」
 これから先に想像出来る数々のトラブルとハプニングを思うと、この程度のため息ではとても僕の気分は晴れそうになかった。