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魔女の家で見た夢

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章



 出張をすませ、帰途につく最中に季節外れの暴風雨に祟られた新米神官カロン。
 ようやく見つけた雨宿り先で、彼は誤解と歪曲によって苦しみ続ける古く悲しい出来事に遭遇する。
 全ての不幸をゲームとする存在を相手に、カロンはその苦しみを救うべく行動を起す。
 果たして、その結末にあるものは?

第三章

「来てくれた……」
 暗い世界にずっと閉じ籠りっぱなしであった少女の意識が、喜びの声とともに目覚めた。
「ついに……ついに来てくれたんだ……」
 自分と、哀れな父親の魂を救い出してくれる人。この呪われた場所を浄化し、清浄な空間に戻す事の出来る人。
 その人物が現われる事を彼女は永年望み続け、ついにその望みは果たされようとしていた。
「あの人なら……あの人ならきっと……」
 一風変わってはいるが、実力と見識を備えた神官。神の寵愛さえ受ける事ができながらも控え目な姿勢を崩さず、そして人の悲しみや苦しみさえも知っている人物。
 少女が求め続けた人物は、ようやく訪れてくれた。
「この忌まわしい宿命から、やっと……やっと解放される……」
 見えない鎖でこの空間に閉じこめられ、浄化される事も叶わず、ただひたすら苦痛な光景だけを見せ続けられる。
 並みの精神には耐え難いこの責め苦にも、少女の精神は精一杯耐えた。ただこの日が訪れることだけを信じて。いつかかならず免罪の日が訪れると信じて。
「お願い……もう……貴方だけが頼りなの……」
 自分と父親、そして最期まで仕え続けた哀れな執事の魂。それら全てを救う事が出来るのは、あの人の他にいない。
「でも……」
 少女は心配げに身を震わせた。自分の望みが容易には果たされない事を、少女は理解していた。必ずあのエレーナが妨害するに決まっているから。
 少女の意識を閉じこめ、また父親を破滅させた魔女エレーナ。あの魔女が、自分達が救われるのを黙って見逃す筈がない。
 あの魔女に取って、自分達は子供の玩具みたいなもの。そしてその玩具を守る為に全力を尽くすに違いない。子供のような残酷さでもって……。
 それに対して、自分は何と無力なのだろう。こうして祈る以外に全く成す術を持たない存在。自らが招いた結果とはいえ、あまりに空しく悲しい。
「あの時……あの時、たとえ一瞬だけであっても、あんな事さえ考えなければ……」
 悔やんでも悔やみ切れない後悔。あの一瞬、あの一瞬の為に全ては狂ってしまった。あの一瞬の為に、復讐の魔女の寵愛を受ける事になってしまった。
 そう……あの一瞬、長剣の切っ先が自分の胸を貫いた瞬間に……

「………!」
 突然の出来事に、僕は咄嗟に返す言葉を見つける事が出来なかった。まるで早鐘のように心臓が激しく鼓動している。
「フフフフ……」
 そんな僕の様子を、心から楽しそうにエレーナ嬢が笑って見ている。
 間違えようもない。朝方廊下で出会った少女と同一人物だ。
 だが、何かがおかしい。朝は会った時にはまるで天使のような笑顔を持つ少女だったのに、今では氷のような冷笑を浮かべている。
 ぞっとする程冷たい笑みだ。
「面白い人だとは思っていたけど、それ以上にできる人だったのね」
 悪戯っぽい微笑みの表情でエレーナ嬢は僕の方を見ている。
「君は一体……死んでいるんじゃ……」
「もちろん死んでるわよ」
 うろたえた僕の様子にクスクス笑いながらエレーナ嬢が答える。
「頑固でわからずやだけど、剣の腕前だけは一流だもの。一撃で致命傷だったわ」
 びっくりするような内容を事も無げに口にする。笑顔だけを見ていればまるで天使のような少女だが、その口にする言葉の内容はあまりに凄い。
「まったく……実の娘なんだから少しは手加減して欲しいものね」
「………」
 なんと答えたて良いのか解らず呆然としている僕に、エレーナ嬢はにっこりと微笑みかける。
 僕は後ろを振り返った。この異常事態に候はどのように反応しているのか気になったからだ。部外者の僕でさえこうなのだから、当事者である候は尚更……。
 しかし、候の態度は僕の予想を完全に外していた。ただ何かをブツブツと呟いているだけだ。そしてそのよどんだ瞳はエレーナ嬢はおろか、僕の事さえ見てはいない。
「クロイッツエル候……」
「その男に、今何を言っても無駄よ」
 まるで小鳥の鳴き声のように軽やかな声でエレーナ嬢は僕に言う。
「もう貴方の事なんか見てはいないし、勿論私の事だって見えてなんかいないわ」
「それって、一体……」
 言葉を続けようとした唇を、軽く右人差し指で触れてエレーナ嬢は僕の言葉を遮った。
「貴方も薄々は感じている筈よ……ここがどんな場所なのかね」
 既に断絶している筈の家名……四十年前の日付を示したままの時計……そして屋敷全体を覆っているモノトーン色の古臭さ……。
 今まで漠然と感じていた感触が、急速に形を整えつつある。
 間違いない、ここは生ける者が訪れるべきではない場所……。
「改めてようこそ『忘却の館』へ。変わった神官さん」
 僕の脳裏に浮かんだ考えを、エレーナ嬢が芝居掛かった口調で引き継ぐ。
「この屋敷の住人達は、もう四十年以上さ迷い続けているわ……そう、あの許されざる大罪の為にね……」
 無実の娘を殺した罪……。それは許されざる大罪で、無知が故に起きた悲劇。
「では君は、やはり母親の病を治そうと……?」
 僕の言葉を、エレーナ嬢は小馬鹿にしたような笑い声で否定した。
「違うわ……そう私が母親を殺したのはある意味において事実よ。でも、それ以上の事実を貴方は知る事が出来るかしら?」
 そこまで言ってから、少女はいくぶん挑戦的な視線を僕に向けた。
「貴方が何故ここへ導かれたのかは知らないけど、来てしまった以上簡単に出られるとは思わない事ね」
「簡単には出られない……?」
 返すべき言葉を失いただ相手の言葉を繰り返すだけの僕に、哀れむような口調でエレーナ嬢は言う。
「ここは死ぬ事さえ許されぬ亡者達の住む呪われた場所。時と空間の狭間に存在する幻の世界。ここに迷いこんでしまった以上、呪いを解かない限り脱出は不可能よ」
 エレーナ嬢が、クスクス笑いながら身を翻す。
「さぁ、神官さん。ゲームの始まりよ。貴方が呪いを解くのが早いか、それとも衰弱死するのが先か……チップは貴方の命、せいぜい頑張ってね」
 魅力的なウインク一つを残し、エレーナ嬢の姿は扉の向こうへと消えていった。
「く……」
 僕は強く唇を噛み締めた。自分の無力さが腹立たしい。ヒントはあった。必要な情報の全てが僕の前に揃っていた。
 絶えた筈の家名、古びたモノクロームな館、四十年前から時を失ったままの時計、そしてあの夢と少女……。
 それなのに、僕は何一つ知ることも出来なかった。
「復讐の魔女……」
 間違いない。あのエレーナ嬢は復讐の魔女、ネメシスに捕われている。今僕の目の前に現われたのは本当のエレーナ嬢ではなく、ネメシスに身体を奪われたエレーナ嬢だったんだ。
復讐の念だけで存在している魔女、エレーナという名前の復讐の魔女だったんだ。
「だけど、僕に可能なのだろうか?」
 この場所の呪いを解くということは、つまりあの復讐の魔女に勝たねばならない。この閉ざされた屋敷の中で、ひたすら住人を苦しめ続け力をつけた魔女に。
「でも……やるしかないか」
 自分の命なんか惜しくはない。本当に必要とされるなら、投げ出したって構わない。
 だけど、あの魔女に渡す事は出来ない。そんな事をしても、誰一人救われる訳ではないのだから。
 僕は候の方にチラリと視線を向けた。候は頭を抱え、ただひたすら何かを呟いている。それが後悔の言葉なのかそれとも現状に対する恨み辛みの言葉なのかはわからない。聞き取ろうにも聞こえないのだ。
「………」
 僕は黙って扉から部屋を後にした。これ以上この部屋にいても何も得るものはない。必要な行動を起こすべきだ。行くべき先は決まっている。
 この屋敷で一体何がおきたのか、一体エレーナ嬢は何をするつもりだったのかを突き止めなくては。それを知る事ができて、初めて僕はあの魔女と対等の立場に立てる。
 エレーナ嬢の部屋に行けば、きっと何かヒントが残されている筈だ。

「ふふふふ……」
 何やら意を決した表情で部屋を出てゆくカロンを、エレーナは面白そうに眺めていた。
 40年間この屋敷の住人を苦しめ続けてきたが、正直言ってその行為にも飽きてきていた。反抗する手段も気力も持たぬ相手など、始めの方こそサディスティックな快感を得る事が出来たが、すぐに飽きてしまった。刺激もなければ面白味もない。人形の腕を引き千切っても楽しくない。
「さぁて……どれくらい楽しませてくれるかしら……?」
 あのカロンとか言う神官がこの場所に誘われたのは、決して偶然ではない。この屋敷の誰かがそれを望み、その望みによってこの場所に呼び込まれたのだ。
 誰が呼んだのかなどは問題ではない。そんな事はわかりきっている。重要なのは、あの神官がどれ程自分を楽しませてくれるかだ。
「……何しろこの空間を浄化するのは、生半可な覚悟じゃ無理だものね」
 心底楽しそうに、エレーナは笑った。
 あの優秀な神官は、答えをすぐに見つけ出すだろう。だが、それを活かす為に必要な代償を知った時、果たしてどんな反応をしめすだろうか?
「ゾクゾクしちゃうわね……」
 快感にも似た感触が背中を突き抜ける。久しく忘れていた感触に、エレーナは興奮気味に唇を舐めた。
「果たして、あの子の思い通りになるかしらね」
 カロンが浮かべるであろう驚愕の表情とあの子が絶望する様子を想像し、恍惚とした表情でエレーナが笑う。
「全ては私の思うまま。誰にも邪魔はさせない」
 この場所では自分こそが絶対的な存在で、他の者は単なる暇潰しと余興の相手に過ぎない。どれほど足掻いても自分の手から逃れる事は出来ないのだ。
「わざわざ新しい玩具を用意してくれたんだからね……」
 そう閉じこめられた意識が、その全力をつくして新しい玩具を呼んできたのだ。充分に堪能しなければ、あの子に失礼だろう。

 いつまでも、いつまでも楽しそうにエレーナは笑い続ける……。