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魔女の家で見た夢

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章



 出張をすませ、帰途につく最中に季節外れの暴風雨に祟られた新米神官カロン。
 ようやく見つけた雨宿り先で、彼は誤解と歪曲によって苦しみ続ける古く悲しい出来事に遭遇する。
 全ての不幸をゲームとする存在を相手に、カロンはその苦しみを救うべく行動を起す。
 果たして、その結末にあるものは?

第一章

 突如として降り出した雨は非常に冷たく、思い出したように轟く雷鳴はこの上なく恐ろしく感じられた。
「まったく、ついてないよなぁ」
 防水布で作られたマントの止め具をしっかりと掴みながら呟く。風はおさまる事を知らぬように吹き荒れ、少しでも気を抜こうものなら、容赦なく身体を吹き飛ばしてしまいそうだ。
 僕の名前は、カロン。至高神イシス・ハーンに仕える新米の神官だ。
 長い間神官になるのを夢見ていたが、政治力も皆無で有力な後押しも無い僕は数年に渡って無為な挑戦と挫折をくり返すだけだったが、五ヶ月前にオデッセイ、いや調停神ラル・シェード・ハーンの推薦を受けてようやく現在の地位を得る事が出来た。
 彼女には感謝しているが、正直言って採用が自身の力でない事に対する引け目も感じている。
 人の善意と言うものが、時にどれほど無意味な物に感じられるかという実例を身を持って体験してしまった気分だ。
 果たして彼女は、僕の無力感に気付いているのだろうか?
 気付いていたとすれば、これも『神が与えたもうた試練』なのだろうか?

「このままじゃどうにもならないなぁ」
 雨も風も止む気配はないし、疲労も極限近くに達していた。冗談ごとではなく、このままでは行き倒れてしまう。
 僕は焦ったが、状況は好転しそうにない。それどころかますます悪化しそうな雰囲気さえある。
 自然というものが、これほど容赦ない存在だったとは初めて知った。
「初仕事でいきなりこの有り様では、先が思いやられるよ」
 神官としての訓練の全課程が終わったのが、ちょうど一週間前の話だ。その後すぐにファインアート市の神殿に配置され、初仕事として中央神殿への使いを命ぜられた。
 ちなみにファインアート大神殿はフェーンバード市の中央神殿に次いだ権威を持つ神殿で、僕の故郷の街にある。
 本来なら僕のような駆け出しの神官が拝命できる場所ではない。人事の裏にフェーンの影を見出すのは、そう難しい事ではなかった。
 まったく、人の事を随分と御節介呼ばわりしている癖に、やっている事はそう変わらない。他人の事はよく見えるというけど、まさにそのとおり。
 風雨はすでに嵐と呼んで差し支えない規模に到達しつつあるようだ。大粒の雨が容赦無く襲いかかり、風は僕の身体を吹き飛ばそうとするかのように激しく吹き付ける。そしてまるで僕を威嚇するかのように鳴り響く雷鳴。
「……なんか、恨まれるような事したかなぁ……」
 大自然の全てが僕に悪意を持っているような錯覚を覚え、思わず間抜けな呟きを漏らしてしまう。
「相手が大自然じゃぁ、謝りようもないし……」
 周囲に誰もおらず、またこの雷鳴の中では他人に聞こえる筈も無い。そう思うと独り言にもなかなか歯止めが効かない。
 ぶつぶつ呟きながらしばらく歩いていると、遠くに大きな屋敷が見えてきた。無人なのか、明かりは見えない。
「やれやれ、だ」
 思わず安堵のため息が漏れる。
「これで、何とか雨宿りぐらいはできそうだな」
 この際だ、廃屋だろうが幽霊屋敷だろうが構うもんか。
 遠目に見えているその屋敷は古びて、心なしか傾いているようにさえ見える。失礼かもしれないが、幽霊屋敷だと思われても仕方がない。
 しかし、近づいて見ると、どうも様子がおかしい。扉は固く閉ざされていたが、そこには生活の匂いが残っていた。
 古いが奇麗に磨かれている真鍮の呼び鈴。きちんと仕切られ手入れされた庭園。窓にはしっかりと鎧戸がおろされており、破損している物は一つもない。明かりが漏れていないのはその為だ。
 これらは、それを手入れする人の存在を意味する。まさか誰も住んでいない空き家をわざわざ手入れする者もいないだろうから、住人がいるのだろう。
 これだけ念入りに手入れされていながら、なぜ遠目にはあれほど荒れて見えたのだろう?
 頭をふって、わずかな不信感を忘れる事にする。いくら考えた所で答えが得られる訳でもないし、賢者でもないのだから、真理の追求に労力を費やしても仕方ない。
「こいつは、温かい香茶の一杯でも貰えるかな」
 そんな事を考えながら、呼び鈴を鳴らした。古びたそれは荘厳な音を立てたが、中にまで届いたかどうかは疑わしい。
 だいぶ待たされて、掛け金を外す音が聞こえてきた。扉がわずかに開き、執事だろうと思われる老人が顔を出す。
「どなた様かな」
 しわがれた声で聞いて来るその顔は無表情だった。
「不意の雨にあい、難儀している者です」
 知っている限りの礼節を込めて言う。だが老執事の方は無表情なまま、まるで突き放すかのように答えた。
「それは、それは……お気の毒だとは存じますが、しかし私の知ることではありませんな」
 それを聞いた僕が呆気にとられた事は、改めて言うまでもない。
「は? あの、しかしですね……」
「ともかく」
 老執事が強い口調で言う。
「あなたがどれほど難儀していても、それは私のせいでもましてや御主人様のせいでもありません。見も知らぬ貴方を当屋敷内に招く理由はありませんな」
 その言葉には、さすがの僕も頭にきた。
「確かにあなたのおっしゃるとおりですが、しかし困っている人間を見捨てていいはずが無いと思いますが……」
 しかし、老執事は言葉をまるで無視して扉を閉めようとする。
「………」
 何も言えずに呆然と立ち尽くしていると、一際強い風が吹いて僕のマントを吹き飛ばしてしまった。たちまち卸し立ての神官着がずぶ濡れになる。
「失礼ですが……」
 扉を閉めかけた手を止めて、不意に老執事が尋ねてきた。
「貴方、至高神の神官なのですかな?」
「はぁ……」
 質問の意図が解らず、間のぬけた返事を返してしまった。いったい、この老人は何が言いたいのだろう?
 しかし、僕の返事は想像も出来ない程の影響を老執事に与えたようだ。返事が終わるか終わらない内に老執事は扉を勢いよく開き、雨が振り込むのも気にせずに言った。
「これは、これは……神官様でいらっしゃいましたか。これはとんだ御失礼を。どうぞ、お入り下さい。御主人様も歓迎なされる事でしょう」
「は、はぁ……」
 余りにも極端な態度の変化に戸惑い、思わず間の抜けた返事をしてしまう。
「ささ、早くどうぞ」
 老執事に背中を押されるようにして扉をくぐると同時に、僕の背後で一際派手な雷鳴が轟き渡った。

 最初に通された部屋は、古ぼけた吹き抜けの大広間だった。
 床には赤い絨毯が敷き詰められ、部屋の中央には骨董品のような鎧が飾られている。壁にはさまざまな肖像画が飾られていた。恐らく、この屋敷代々の主人達の絵であろう。その絵の住人達の表情は高圧的で、何だか僕は値踏みされているような錯覚を覚えた。
「……しかし、何でこんな辺鄙な場所に住んで居るのだろう?」
 思わず呟いてしまう。天井のシャンデリアや、その他の家具など、多少は古ぼけているものの間違いなく高級品である。屋敷の大きさはそうでもなかったから、別荘なのかもしれない。
 もっとも金持ちというのはたいてい変わり者だと相場が決まっているから、それほど気にするようなことでも無いのかもしれないが。
 部屋の奥から二人分の足音が聞こえてきた。恐らく、さっきの老人とこの屋敷の主人だろう。しばらくして扉が開き、二人の人物が入って来た。一人はやはりさっきの老執事で、もう一人の方は中年の紳士だった。その表情は暗く、弱々しい。
「ようこそ、神官殿。このような暴風雨に襲われるとは、大変難儀な事でしたな」
 言葉遣いは丁寧で、とても低い声だった。どうやらもともと低いわけではなさそうだ。疲れ果て、絶望しきった者特有の低さだ。何か人に相談も出来ないような深い悩みでも抱えているのだろうか。
「どうぞ、食堂へ。すぐに軽食を用意致しますので。えー……神官殿」
 ぼんやりと考えごとをしていた僕に、老人は畏まった様子で告げた。
「神官殿、じゃなくてカロンと呼んでください」
 あまり神官だ神官だとよばれると、何となく気恥ずかしい。ましてや、自力によるものではないという自覚があれば尚更だ。
「では、カロン殿。食堂へ御案内させて貰います」
 どうやら、ここでは神官は尊重される存在らしい。こちらの方が恐縮してしまう程丁重な物腰だ。
 案内された食堂に用意された食事は、どう見ても軽食だとは思えなかった。正式な晩餐にくらべれば格式も落ちているのだろうが、少なくとも御馳走だと言っても差し支えない程度には立派な物だ。
「どうぞ、つまらない物ですが……」
 主人が心底申し訳なさそうに言う。
 これがつまらない物なら、僕がいつも食べている食事は何と言うんだ?
 あまりにも違う生活水準とその感覚には、唖然とするしかない。
「心遣い、誠に感謝します。あーっと……?」
 もっとも、何時までも唖然としている訳にもゆかない。礼には礼を持って答えるのが神官として求められている務めだ。いや、人間として最低限の礼儀だと言い換えてもいい。
 礼儀正しく返答しようとして、僕は肝心の主人の名前を聞いていない事に気がついた。今更のように慌てたが、もう遅い。恥を承知で質問するしかない。
「……すみませんが、お名前をお聞かせ願いませんか」
 主人は一瞬唖然としたようだが、すぐに気を取り直し、笑みを浮かべながら答えた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたな。私はジークムンド・クロイッツェル・フレアガルド。昔は帝国騎士団長を勤めた事もありましたが、今ではただの隠居貴族ですよ」
「はぁ……」
 僕はなんとも間の抜けた返事をする。
 頭に『ジークなんとか』と付く名前の持ち主は、間違いなくクラフトウエイト帝国の貴族(それも上級の)である。実際に帝国でも特別な家系にしか許されていない筈だ。
 そんな由緒正しい貴族様が、こんな辺鄙な場所に住んでいるというのも妙な話だが更に僕が不信感を感じたのは、それ以上にこの侯爵が語った名前の最期の部分だった。
 確か、フレアガルド家は五十年程前に断絶したんじゃなかっただろうか? 何かタチの悪い病によって、跡継ぎを失ったと本で読んだ事がある。
 もっとも、僕は帝国臣民でもなければ帝国に住んだ事もなく、この話もただ目にした覚えがあるだけで、真偽の程は定かではない。
 ひょとしたら再興したのかも知れないし、まったく僕の思い違いだったのかも知れない。それにこの場所はフェーンバード市とファインアート市の中間に位置する境とは言え立派に帝国領内である。老貴族の隠居先だと考えれば、それ程不思議ではないのかも知れない。
 色々と考えている僕の様子も気にならないらしく、クロイッツエル侯は椅子に座りながら僕に声をかけてきた。
「どうぞ、遠慮せずに召し上がってください」
 僕はその申し出を有り難く受け入れる事にした。

 結局天候は回復せず、主人のクロイッツエル候の勧めで僕はこの屋敷で一晩を過ごす事になった。例の老執事に案内されたのは、古い小奇麗な寝室だった。
「昔、お嬢様が使われていた部屋なんですがね」
 執事がランプを手に先導する。
「今のところ、ここしか部屋は空いてないのですよ。多少カビ臭いかも知れませんが、我慢して下さい」
「心遣い、誠に感謝します」
 僕は礼儀正しく感謝の言葉を口にしたが、心の中は言葉ほど穏やかではない。もしこれが黴臭い部屋だというのならば、僕の住んでる家など物置にさえならないのではないだろうか。
 僕がそう思うのも無理は無い。広い室内には見事な調度品が並べられ、きちんと片付けられているのだから。ここに比べれば、余程の金持ち屋敷でもない限り見劣りするに違いない。どうも金持ちの感覚には今一つ、ついていけない。
 部屋の中を見回していた僕の視線が、ふとあるものに固定された。
「………?」
 それは真新しい肖像画だった。そこには一人の少女が描かれている。柔らかいそうな髪とあどけない表情をもっていて、年齢はおそらく十代の後半ぐらいだろうと思う。絵の中の少女は天使のように清純な笑顔をしており、僕はまるでその少女から微笑みかけられているような錯覚さえ感じた。
『エレーナ・フレアガルド』
 肖像画の下にそう書かれた札が付けてある。名前から察するところ、おそらくクロイッツエル侯の娘さんなのだろう。
「美しいお嬢様ですね」
 僕はお世辞抜きで言った。今まで僕が会った事のあるどんな女性よりも美しさと気品にあふれていた。
「ええ……それはもう、美しくお優しいお嬢様でした……」
 しかし、執事の言葉はきれが悪い。何か胸につかえているような喋り方だ。
「……でした? では、今は……」
 思わず聞き返してしまったのも無理は無い。それだけ執事の言葉は歯切れが悪く、印象に残ったのだ。
「……それ以上の事を語ることは、御主人様より禁じられております」
 執事はそう言って僕の質問を封じた。そして後は無言で必要な支度を終え、軽く礼をして部屋から出て行く。
 後には憮然とした表情の僕だけが残された。
「なんか変なんだよなぁ」
 用意されたばかりのベットに寝転びながら呟く。柔らかいそのベットは、僕の体重を受けて大きく沈む。彼がいつも使っている安ベットとはえらい違いだ。
 どうも、ここの執事は今一つ不可解だ。最初は冷たくあしらっておきながら、神官だと知ると途端に親切になり、お嬢様とやらについては思わせ振りな事だけを言う。ただ単なる心境の変化で済ませるには、どうにも納得がいかない。
 それにこの屋敷全体に漂う妙な古臭さも納得出来ない。これだけ奇麗に手入れされていながら、全体的に受けるモノトーンな印象を拭う事が出来ない。どうやら外見ではなく、もっと根本的な部分に原因があるのだろう。
「……ま、いいか」
 考えても答えの出ない事を一生懸命に考えても、得るものは全く無い。だいたい答えが出た所でどうなるものでさえもない。
 そんな事に頭を働かすよりも、僕はとりあえず寝てしまう事に決めた。

 自分でも気付かぬ内に疲労が溜まっていたのか、目蓋を閉じると同時に僕の意識はまっすぐに眠りの世界へと沈んでいった。