魔女の家で見た夢
第一章
出張をすませ、帰途につく最中に季節外れの暴風雨に祟られた新米神官カロン。
ようやく見つけた雨宿り先で、彼は誤解と歪曲によって苦しみ続ける古く悲しい出来事に遭遇する。
全ての不幸をゲームとする存在を相手に、カロンはその苦しみを救うべく行動を起す。
果たして、その結末にあるものは?
「お父様……なぜ?」
一人の男が長剣を持って一人の少女に迫っている。少女は全く理解出来ないと言いたげな表情で、男と長剣を見つめていた。
「……この忌ま忌ましい魔女め……」
男は低く呟く。そして一歩一歩確実に少女に迫って行った。少女の方は恐怖に身体がすくんだのか、一歩も動かない。
「一体、私が何をしたっていうの……」
それでも必死で言葉を絞り出す。
「白々しくとぼけるな」
男の返事は素っ気ない。
「知らぬとは言わせぬ。お前が自分の母親を呪い殺したのだ」
少女の顔に愕然とした表情が浮かぶ。
「ち……違う! 私は……わたしは!」
「言い訳など聞いていない。せめて武門の娘らしく潔くしたらどうだ?」
その言葉には親子の情などひとかけらも含まれていなかった。
「言い訳じゃないわ。私は真実を知って貰いたいの」
目前の恐怖に身体を震わせながらも、少女は、はっきりと言った。
「真実、だと?」
男はさも軽蔑したような視線を少女に向ける。
「この部屋でお前が忌まわしい魔術を使い、そして母親が死んだ。それ以上にどんな真実があると言うのだ」
男の態度は親子の物ではなく、裁く者と裁かれる者のそれであった。
「それ以上の真実よ。聞かなければ……聞かなければ必ず後悔するわ」
「させて見ろ」
男の長剣が一閃し、同時に少女は鈍い衝撃と激しい痛みを感じた。
「……くっ……」
歯を食いしばって悲鳴を押し殺す。長剣の刃は少女の右胸を貫いていた。恐らく背中まで貫通しただろう。刃と傷口の隙間から、じわじわと血が流れ出す。
「悲鳴ぐらい上げないのか? 泣いて許しを乞わないのか?」
男は吐き捨てるように言った。
「まったく、我が娘ながら魔女というのはタチが悪い。少しも人間らしさを反応をしないのだからな」
少女は苦痛に耐えながら口を開いた。
「後悔させてあげるわ……」
それは、さっきまでとは違う呪いの言葉だった。
「己の無知さを、愚かさを、そして生きていることを……!」
この言葉に男は怒り狂った。少女の身体から長剣を引き抜き、その身体を乱暴に蹴倒す。少女の身体から鮮血が飛び散り、部屋中を真っ赤に染め上げた。
「黙れ! やはりお前は魔女だ! それも最悪のな!」
男は長剣を床に投げ捨てながら言った。誇り高き武門の家に魔女が、それも実の娘がとは信じられないような不祥事である。自分の手で始末できたのがせめてもの救いだ。とてもじゃないが、他人に知られるわけにはいかない。
「御主人様……」
突然、男の背後から声がした。男は一瞬ギョッとしたものの、すぐに平静を装って声の方へと振り返った。
声の主は執事だった。執事は部屋の惨状に震えながらも、どうにか声を出した。
「お、お嬢様は……?」
「私が決着をつけた。すまないが、エレーナの死体を片付けてくれないか」
しかし、執事は震えているだけだ。その目は一点だけを見つめており、男の声も耳に入っていないらしい。
「一体どうしたというのだ」
男は不機嫌そうに執事が見ている方を振り返った。
「な……?」
そして絶句する。そこにあるべき筈の光景は無く、全く違う光景が存在していた。たった今まで鮮血で飾られていた筈の空間は、整然と整理された空間に取って代わられていた。
「これは一体どうしたと言うんだ」
それはまるで夢でも見ているような光景だ。しかし夢である筈がない。たった今自分はエレーナを……。
「……夢じゃないわ……」
不意に声が掛けられる。男は驚愕の表情をなんとか堪えながら、声の方へと視線を向けた。
「そう、夢じゃ無いのよ、お馬鹿さん」
そこには、エレーナがいた。上品に椅子に腰掛け、微笑みをうかべてさえいる。
「そ……そんな、馬鹿な……?」
男は状況を理解しようとするが、それは果たせなかった。考えれば考えるほど余計に混乱するばかりだ。
「無駄なことはやめたら? 労力の無駄よ」
男の狼狽を見透かすかのように、エレーナは悪戯っぽく言う。
「それならば説明しろ、エレーナ」
半ば開き直ったかのように男は口を開いた。
「私には全然理解できん」
「わたしはエレーナじゃないわ」
エレーナが笑いながら答える。
「じゃぁ、誰だと言うんだ」
「エレーナ」
「………」
男は怒鳴り付けたい衝動を辛うじて押さえつけた。人から馬鹿にされることには馴れていなかったし、今まで馬鹿にされた事も無かった。
「ふざけるのも、たいがいにしろ」
男の方は苛立ちを隠す事が出来ない。
「馬鹿ね、あなたの娘のエレーナじゃ無いと言いたかったのよ」
「それなら、それでもいい。とにかくこの奇妙な現象を説明しろ」
エレーナ(と名乗る少女)は、男を指差しながら口を開いた。
「あなたは呪われるのよ」
「ほおぅ……」
男は床の長剣を拾い上げた。部屋と同じく、その刃にも血糊は残っていなかった。
「一体何のためにだ?」
「決まってるじゃない」
エレーナは呆れたように答える。
「無実の娘を殺した罪、よ」
「聞く耳を持たんな」
男は長剣の刃をエレーナに向けて言った。それは先刻の状態によく似ていた。
「それは、ご自由に。どちらにせよ、呪うのは私なんだから」
「そうか、それならば好きにさせて貰おう」
男は長剣を鞘に収めながら、エレーナに背を向けた。そして物も言わずに歩きだす。
それまで呆然と立ち尽くしていた執事も、我に返って主人たる男の後を追った。
「……ああ」
扉の目前まで来てから、男は急に立ち止まって口を開いた。
「お前が何者で、何を企んでいるのかは知らんが……」
言葉は最後まで続けられなかった。振り返った男の視界に少女の姿はなく、部屋の中は少し前の惨状を再現していた。違うのは、少女の死体が何処にも見当たらない事だけだ。
主人と一緒に振り返った執事は恐怖に顔を引きつらせたが、男は悠然とした態度を崩さなかった。それは、ある程度予想された事だったからだ。
「もう、何も喋らない方がよくてよ」
男の耳に嘲笑うかのようなエレーナの声が流れ込んで来る。
「言葉の数だけ深く、貴方は呪われるのだから……」
朝食の内容は、僕にとって充分に立派すぎる物だった。僕が普段口にしている食事はもとより神殿のそれとも比べようはない。
僕にとって食事とは、単に生命を維持する為の儀式にすぎなかったが、成る程ようやく美食家といった人達の気持ちが解った。
執事によって食器が片付けられ、食後の香茶が注がれる。
「………?」
余り詳しい訳ではないが、食事の後始末は執事がするような仕事ではないような気がする。他に召し使いはいないのかな?
考えてみれば、昨晩からこの屋敷で会う事が出来たのは主人であるクロイッツエル侯に執事、そして今朝の少女……。
そう言えば、あの少女は誰なんだろう? 朝食に顔を出さなかった所を見ると、小間使いか何かなのだろうか。それにしても、後片付けにすら姿を見せないのはどう考えてもおかしい。
少し迷ってから、僕は思い切って侯に尋ねてみた。
「この屋敷には、可愛らしい娘さんがいますね。召し使いか誰かのお子さんですか?」
僕の言葉が耳に入るや否や、侯の手からカップが滑り落ちた。それは絨毯をひいた床の上で不自然な程大きな音を立てて砕け散る。
侯の顔は真っ青で、心なしか引きつっているようにさえ見えた。その様子を見て、僕は自分が聞いてはいけない質問をしてしまったことを悟った。
侯が完全に落ち着くまでには、少なからぬ時間が必要であったが、濃い目のブランデーの助けもあって時間はかなり短縮された。
「……あれにお会いになったんですな……」
ようやく落ち着きを取り戻した侯は、執事に支えられて呻く様に口を開く。
「一体、誰なんです?」
「……幻幽、いや死せる魔女だ……」
その時僕は、唐突に昨晩自分の見た夢を思い出した。夢の中にも魔女と呼ばれる少女がいて、そしてその顔は……。
「まさか、貴方のお嬢さんでは……」
自分の導き出した結論を呆然と呟く。言ってはいけない事だったかも知れないが、口にせずにいられなかったのだ。
「………」
侯は答えない。沈黙は同時に肯定を意味しているのだろう。
重苦しい雰囲気が部屋にいる全員を飲み込む。ようやく僕は、候が自分の神官としての能力を求めている事を悟った。
始めにあれ程冷淡な態度を取っていた執事の態度の急変もこれで納得がいく。そしてこの大袈裟な待遇の理由も……。
「……あれは私を呪っている。理由は全く理不尽な事なのだが、事実あれの呪いは今なお私を苦しめているのだ」
「呪い……?」
侯は苦しげに頷く。
「あれは魔術に染まり、何が気に入らなかったのか自分の母親を呪い殺した。そして自らが死してなお、私を呪い殺そうというのだ……」
「実の母親を呪い殺すなんて、まさか……!」
あまりに衝撃的内容の言葉を、僕は素直に信じる事は出来なかった。
当然だろう。娘が実の母親を呪い殺すなどという事があって良い筈がない。
「いや、それが事実なのだ」
罪人に判決を下す裁判官のように、候は口を開いた。
「長い事病に臥せっておった我が妻は、エレーナの怪しげな魔術によって殺されたのだ。子供の気まぐれだと思い、放っておいたのが間違いだったのだ」
そこまで言ってから候は両手で顔を押えた。
「我等親子の間には何の問題もなかった。あれ程母親になついていた娘が、何故そのような暴挙に出たのかは知る由もない……」
何かがおかしい……何かが変だ……?
混乱する思考の中で、僕は唐突に妙な不信感を感じた。それは理由も根拠もわからないまさに唐突の出来事だった。正体のわからない不信感は、更に僕の頭を混乱させる。
混乱している僕の様子に気付く筈もなく、候は言葉を続ける。いや、その言葉は誰かに向けられてたものではない。自分自身に語りかけている言葉、独り言だ。
「あのような事さえなければ、エレーナも……」
顔面から血の気が引いていく事を自覚しながら、ようやく僕は言葉を絞り出した。
「まさか……貴方は自分の娘さんを、自らの手で……」
「……他に方法はなかったのだ」
候は遠回しな表現で僕の質問を肯定した。
「……なんて事を……」
他に言うべき言葉はなかった。昨日の夢の内容が、いやに鮮明に思い出される。あの少女がエレーナ嬢であるならば、あの男こそ候に違いない。
止む得ない事情があった事はわかる。だがあの夢は、理性より感情の面において許されざる惨事であった。
「まさか、自分の娘を手にかけるなんて……」
「……私は誇りある帝国貴族だ」
僕の非難混じりの声に、候は毅然と口を開く。
「貴族とは先祖の名誉と名声を守り、更なる栄誉の為だけに生きる存在だ。家名に傷を付ける者は絶対に許す事はできない。例えそれが実の娘であってもだ」
あまりに悲痛な内容に、僕は言葉を失ってしまう。
「ましてや帝国六候家としての名誉がかかっていれば尚更だ」
そんな馬鹿な……!
辛うじて僕はその言葉を飲み込んだ。貴族にとって『名誉』がいかに大切な物なのかは理解出来る。だが、だからと言って、娘の命と引き換えに出来る程の物なのだろうか? いくらその娘に母親殺しの嫌疑があるとしても……。
「呪殺……?」
その時になって、ようやく僕はさっきから感じている不信感の正体に気付いた。
「そんな事が可能な筈がない……」
思わず口にしてしまい、慌てて僕は候の方に視線を向けた。だが苦悩の泉に肩までどっぷりと浸かった様子の候は、僕の呟きなど聞いてはいないようだ。
そう、呪殺なんて事が可能な筈がない。
いかに魔法が強力な力を持っているとしても、何もかも思いのままに出来る訳ではない。見えない場所にいる相手を呪殺するのは不可能ではないが、だからと言って可能でもない。魔導師クラスの実力と、今は失われた呪術の力があって初めて可能だ。
魔術師ギルドでは呪術のノウハウは失われているし、また小さな少女に教えうる程簡単なモノではないのだ。
「それよりも……」
僕は、少しは信憑性のある推論を思いたった。母親を呪ったのではなく、救おうとしたのではないかという可能性をだ。
病を癒す魔術は、相当に高度な技だ。それを実行して失敗し、その結果として母親が死んでしまった事なら充分に有り得る。
「う〜ん……中々いいセンを突いてるけど……まだまだ半分ね」
思い付いた推論を口にしようとした時、不意に背後から声が掛けられた。慌てて振り向いた僕の視線の先に夢に現われた少女、つまりエレーナ嬢がいた。