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オデッセイという名の少女

第一章

第二章

第三章

第四章



 神官を志しながらもその夢をはたせず、ただ漠然と毎日を送る青年カロン。
 そんな彼がある日出会った、神秘的なイメージを持つ風変わりな少女。
 その少女との出会いが、カロンの人生を大きく変えはじめた。
 こうして奇妙な生活をはじめた二人の行く末は……?

第四章

 試験の日はすぐにやってきた。自信がないわけではない。試験の問題はそれほど難しいものではないし、第一僕はこのための勉強を五年以上もしているのだから。点数不足で不合格という事はほとんどありえない。が、同時に僕は絶対にに合格する事は出来ない。
 理由は至って簡単。
 僕が平凡以下の家柄出身で、しかも後押ししてくれる有力者がいないからだ。認めたくはないが、最近の神官という地位は、貴族の子弟が政治中枢へ上るまでの一時的な名誉職的意味合いが強い。
 もっとも、それを一言で悪いと断言する事は出来ない。神々が地上に実在し、その先々で必要な救済を与えているこの世界では、しょせん神官なんて名前だけの存在に過ぎないのだから。
 そしてあの日以来、例の少女はぼくの前に姿をあらわさなかった。その事実が僕の神経をマイナス方向に刺激したが、これも自業自得というものだろう。

「よぉ、カロン。具合はどうだい?」
 試験が終わって数日後、いつもどうり意気消沈している僕に親友のフェーンが声をかけてきた。僕と同い年なのにも関わらず、司祭補佐官という要職についている優秀な奴だ。
「……まぁね」
 返事が腐ってしまうのも無理はないだろう、と思う。
「ははぁ……なるほど」
「なんだよ」
 拗ねたような僕の態度に苦笑しながら、フェーンは一通の封書を取り出した。
「なんだろね。ところで今日は仕事で来たんだ。カロン、神殿は君を呼んでいる」
「はぁ?」
 なんとも間抜けな返事をしてしまったのは、やはり無理のない事だろう。
「鈍い奴だな。君は採用されたんだよ、カロン。君の念願である神官にね」
「……? まさか……冗談だろ?」
 僕の言葉にフェーンは、大袈裟な動作で肩をすくめて見せた。
「冗談? 冗談なもんか。正真正銘本当の事さ」
「………」
 フェーンは少しバツの悪そうな表情で答えた。
「まぁ、その、君の素質を上層部が認めたワケじゃないんだけどな」
「だったら何故……」
「ここだけの話だが……」
 フェーンはさらに声のトーンを落とした。
「どうやら、調停神ラル・シェード・ハーン様直々の推薦があったらしいんだ」
「調停神……オデッセイ……?」
 その台詞を聞くと同時に、僕の脳裏を稲妻が駆け抜ける。
「色々と揉めたようだけど、調停神も至高神の一族である事に間違いないからね」
「そうか! そうだったんだ!」
 オデッセイと名乗る少女、彼女はまぎれもなくオデッセイだったんだ。はじめて会った時、ステンドグラスを眺めた時、あのデジャブは決して錯覚なんかじゃなかった。
 慌てて僕は外に飛び出した。
「オ・オイ! どこへ行くんだ?」
 驚いたフェーンの声が背中に届く。
「内緒だよ!」
 僕は一言そう言い残すと、後ろも振り返らずに走り続けた。
 あの少女、オデッセイ調停神ラル・シェード・ハーンに会わなくてはいけない。
 さしたる根拠がある訳ではなかったが、僕はそう思った。
 そしてあの少女が例の場所にいるであろう事を、僕はまったく疑っていなかった。

「そんなに慌てて、一体どこへ行くのかしら?」
 はじめて僕と少女が出会った例の場所にさしかかった時、横合いから僕は聞き慣れた調子の声をかけられた。その声を聞いた瞬間、僕は足を止める。
「念願の神官、おめでとう」
 その声は、多少の皮肉を含んでいた。少女は以前と同じように、木に背中を預けた格好で、おもしろそうに僕を見ている。
「何故、僕に肩入れするんです?」
 僕の質問に、少女『オデッセイ』はゆっくりと答えた。
「昔の私によくにていたから」
「………」
「一つの価値観を信じて、たとえ心の中で疑っていたとしても、それを忘れる事ができるぐらいに信じ続けられた昔の私に……」
「昔の……君、に……?」
 少女が小さく頷く。
「そう……来るべき戦乱を避けるべく、竜神ジェノヴァに挑んだ頃の私。あの頃の私は……」
 少女はまるで遠くを見るかのように、目を細めた。その目が想像を絶する程長い時間をさかのぼっているであろうことぐらいは、いかに鈍い僕でも容易に想像することが出来た。
「あの頃の私は、自分の力だけを信じていた。そして、その自惚れの隙をジェノヴァに利用された……」
 僕は無言だった。理屈ではなく本能で、僕は少女の話を中断させてはいけないことを悟っていた。
「結果はあなた達が知るとおり。千年戦争は避けられず、結果として私はその先鋒を担いだ……。母であるイシス・ハーンは、私に言ったわ。『不祥の娘、神々の面汚し』ってね」
「それは……!」
 思わず僕は口を開いてしまった。
「結局自分では何もせず、その責任だけを……」
「違うわ……違うのよ……」
 少女は寂しげに頭をふった。
「私は、あなた達『導かれし者たち』とは違うわ……責任を果たすだけの力を持つ存在……『神』なのよ……。任された責任を一人で果たすなど容易な力を持っていた筈の……」
「………」
「まぁ、だけど、そんなことはもうどうでもいいわ……ところでカロン、あなたは何故神官になりたいの?」
 少し寂しげな表情で、少女は話題を変えた。
「もともと僕は……ほんの少しだけ、『力』が欲しかったんだ……。たった一人、たった一人の女性を幸せに出来るささやかな力がね……」
自分の言葉の一つ一つが、これほどまでに自分の心を突き刺すことがあるなんて、僕ははじめて知った。自分の思いがどれほど無力で、そして言葉というものがいかに冷徹な凶器になり得るのかを……。
「それが何故、神官なの? ほかの手段でも良かったのじゃなくて?」
「神官になれば、彼女だけでなく、もっと多くの人も幸せにできるんじゃないか、ってね……。幸せは平等であるべきじゃないかってね」
「合格よ、カロン」
 僕の予想に反して、オデッセイは上機嫌な声で話しかけてきた。
「あなたは神官に相応しい、いえ司祭職にだって相応しいわ」
「……まさか……」
「あなたは、『神』という存在がある意義の一端を悟って、いえ、信じている。かつて私が自分の正義を信じてたようにね」
 少女が空を指さす。
「いいかしら。この『黄昏の時代』は終焉を告げつつあるわ。間もなく世界は『黎明の時代』を迎える……」
 僕は何も答えなかった。答えようにも口が動かせないのだ。
「そして、神々の存在もそこで終わる……神々の救いは、もうあなた達『導かれし者たち』には与えられないのよ……。だから、神官の重要性はこれから飛躍的に高くなるわ。だって、神々のかわりに救いを与えなければならないんですからね。

 だけど、今までのような信念も理念も持たぬ神官司祭達では、その変化についてはいけない。あなたのように、神を心から信じ、その力を代行することのできる者だけが必要になるの……」
 一息に少女が言う。その話の半分も理解することはできなかったが、それでもどうやら重要な話であることだけはおぼろげながらも理解できた。
 そこまで言ってから、少女は僕の方に顔をむけた。
「話はここまで。後はあなた自身が自分で考えるのよ」
 そこで少し言葉を切る。
「それと……もし……もしね……」
 心成しか語尾が震えているように聞こえる。
「……あなたが私の表面以上のことを知らずにいられたらね……」
 少女は少し寂しそうな表情になって言葉を続けた。
「あなたと一緒になっても良かったのに……。あの時の言葉、本当に嬉しかった……」
 ゆっくりと少女が僕の方に近づいてくる。それに対して僕は、ただ呆然と立ち尽くしているしかなかった。
「さようなら、カロン」
 少女は僕の両頬にそっとそのか細い両手をあてた。少し冷たいその手は、心なしか震えていたようだ。
「……またいつか、あなたが私のことを遠い記憶の彼方に消し去った時に会いましょうね」
 少女の顔がゆっくりと動き、その唇が僕のそれに一瞬だけ触れた。
 その瞬間、僕は二度目の失恋を悟った。

『……仮に調停神ラル・シェード・ハーンが出来損ないの神性であったとしても、それを責めることは、いかなる神々にも出来ない筈である。
 彼女は自らの失態を認め、それを是正する為のあらゆる努力を惜しまなかった。その代償として、彼女は自らの持つ力の大半を失い、そしてその力を取り戻すことを完全に放棄した。まるでそれが自分に課せられた宿命かのように……。

 この時代、これに匹敵する犠牲を払った神性は、少なくとも彼女の他には存在しなかった。それは何より、他の神性が彼女を非難する資格を持たぬことを意味するのではないだろうか? そしてその資格を持つ筈である我々『導かれし者たち』が沈黙を保っているのは、一体なにを意味しているのだろうか……?』
 そこまで書いてから僕はペンをおいた。だいぶ身びいきな書き方になってしまったかもしれない。
 側においたカップを取り上げ、軽く口をあてる。カップの中の香茶はだいぶ冷えていて、その芳醇な香りはまったく失われてしまっている。
 そういえば、フレイアのいれてくれる香茶は逸品だったよな……。
 いくぶん苦味を帯びた感情で、僕はため息をつく。いつもなら、この図書室で僕に香茶をいれてくれるのはフレイアだったが、あの日以来、彼女は神殿に姿を見せない。
 今更ながら、僕は自分の愚かしさを痛感する。
「……なかなか熱心だな」
 心地よい香りと共に、横合いから白磁のカップが差し出される。驚きの表情を隠せないまま、僕は差し出した相手の方を向いた。
「……なんだ、フェーンか」
「香茶にはうるさい筈の君が、そんな質素な香茶で我慢してるってのも、気の毒な話だね」
 表情に困っている僕とは対象的に明るい表情で、フェーンが笑う。
「フレイアがいれる香茶とは比べものにならないけど、まぁ、その冷えたのよりはマシだろうと思うよ」
「ありがたく頂戴するよ」
 フェーンは自分のカップを片手に僕の前に座る。彼のカップからは、僕の苦手な刺激臭がやんわりと漂って来ている。香茶党の僕とは違い、彼は珈琲党だ。
「……なぁ、カロン」
 いくぶん改まった感じでフェーンが僕に話しかける。
「まぁ、君とフレイアの間で、何があったのかは知らないけどね……」
「よしてくれよ、そんな話。何もある訳がないじゃないか」
 思わず口にしてしまった逃避の言葉を、フェーンは無言で無視した。
「……フレイアは行ってしまったよ。中央神殿で正式な女神官になるつもりらしい」
「……女神官に? フレイアが?」
 呆然としている僕に、フェーンが挑戦的な視線をむける。
「この意味が君にはよくわかっている筈だ。フレイアは君と会うのを避けているんだ。そして、この僕をもね」
 そこまで言ってから、フェーンはカップの珈琲を一気に飲み干す。
「今だから言うけどね、カロン。フレイアは決して、僕なんか愛してはいなかった」
「………」
「フレイアが僕の求婚を受けたのは、要するに君の気を引きたかったからさ」
「やめろ……フェーン! それ以上言うな!」
 思わず僕は両手の拳で乱暴に机を叩き、そのままの勢いで立ち上がる。フェーンの言葉に、思わず興奮してしまった。
 興奮を隠せない僕とはまるで対象的な落ち着いた態度でフェーンが口を開く。
「悪かったよ、カロン。こんな話はもうやめよう。それより……」
 フェーンが、僕の書きかけの論文を取り上げる。
「いつも思うんだが、君は至高神のというよりも、調停神の神官みたいに見えるな」
 そこで僅かに声のトーンを落とす。
「君のその態度は、上層部であまり受けが良くない。気をつけた方がいいな。出世に響いても知らないぞ」
「出世、ねぇ……」
 落ち着きを取り戻し、僕は再び席に腰を降ろす。
「どちらにしても、僕には縁のない話さ。いまさら気にしても仕方がないよ」
「やれやれ」
 僕の答えにフェーンは大袈裟な態度で肩をすくめる。
「いつもながら、尊敬できる程の無欲さだな。あの出世欲ばかりに目がくらんでいる能無しどもに見習わせたいぐらいさ」
「若くして司祭補佐官にまでなったエリートさんの台詞とは思えないね」
 僕の言葉に、フェーンはやれやれと言わんばかりに首をふった。
「まったくだ。それにしてもこの地位につくと、頼みもしないのに欲ボケ連中が押しかけてくる。まったく嘆かわしい事さ」
「地位に苦労は付き物さ。諦めて受け入れるしかないと思うよ」
「なる程、正論だな」
 儀式の開始を告げる鐘が鳴り響き、フェーンが立ち上がる。
「そろそろ、あの鬱陶しいだけで何の意味もない儀式に参加しなくちゃいけない。こんな事なら地位なんて放棄したいと思うよ」
 廊下の方が騒がしい。どうやら儀式に参加する司祭や神官が聖堂に向かっているのだろう。
「理由は聞かないが、たまには至高神についての論文も執筆した方がいい。出世できないだけならまだしも、免職になったら洒落にもならないぞ」
 冗談めかしてフェーンが言う。僕は苦笑しただけで何も答えなかった。

 誰に知ってもらう必要もない。正直言って、あれは一つの白昼夢じゃなかったのかとさえ自分で思う事があるぐらいだから。

 ただ、僕の唇だけが、いつまでもあの日を思いでとして忘れずにいる……

… Fin. …