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オデッセイという名の少女

第一章

第二章

第三章

第四章



 神官を志しながらもその夢をはたせず、ただ漠然と毎日を送る青年カロン。
 そんな彼がある日出会った、神秘的なイメージを持つ風変わりな少女。
 その少女との出会いが、カロンの人生を大きく変えはじめた。
 こうして奇妙な生活をはじめた二人の行く末は……?

第三章

 結局の所、集中力を欠いてしまったのだろう。半年後に行われた採用試験は、終わった時点で既に僕に深い絶望感を味わせてくれる程の出来だった。
 今回は、いよいよダメだな。
 いつもは、たとえ点が良くても合格はしないのさ、と不服を並べていればよかったが、今回ばかりはそうも言ってられない。試験の自己採点が、そもそも僕自身を絶望させるぐらいのものだったのだから、合格など夢のまた夢だ。
 もしこれで合格するようでは、社会の組織構造が間違ってるに違いない。

「大丈夫よ、次回があるじゃないの」
 慰めているつもりなのかもしれないが、痛く傷つく台詞を少女は僕に言った。
「次、ねぇ……」
 どこか投げやりな調子で僕は呟く。それに気が付かなかったのか、少女はさらに言葉を続けた。
「今度こそ受かるわよ。頑張らなくっちゃ!」
 少女の明るい声が、不思議と僕の苛立ちを増幅させる。いかにもどうでもよさそうな口調で、僕は答えた。
「いや、無理だね」
「え?」
 僕の答えが意味する事を、すぐには理解出来なかったらしい。少女は笑顔を浮かべたまま、不思議そうな表情で僕を見つめていた。
「どうせまた落第するだろうし、それならもう受験するのはやめようと思っているんだ」
「……それじゃぁ、神官になるのを諦めるって言うの?」
 僕の返事は、少女に予想以上の驚きを与えたらしい。驚きの表情で、両目が大きく見開かれている。
「そういう事になるかな……。まぁ、このままではいずれ食べてゆけなくなるし、第一僕は立派な神官にはなれそうにもないからね」
「………」
「それにいつまでも浪費出来るほど多くの時間を、僕は天から与えられているわけでもないよ」
 実際にもうすぐ19に手が届こうかという歳では、現実に届かぬ夢ばかりを追いかけている訳にもいかないだろう。
 残念ながら僕は霞を食べて生きている訳ではないのだから……。
「あなたなら、立派な神官になれると思うけどな。いえ、あなたにこそ神官になってもらいたいのに」
 少女は少し怒ったように言う。
「それに、そんなに簡単に諦めれるような事に、あなたは今までの時間をかけてきたの? もしそうなら、それで充分以上に時間を浪費してきた事になるんじゃないの?」
 少女の台詞は、一々僕の痛いところを突いていた。情けない話だが、それが僕の心を必要以上に苛つかせる。それは多分、同じことを自分でも考えていたからに違いない。
「……もし、そうだったとしても、君にそこまで言われる筋合いはないね。だいたい君には関係のない事じゃないか」
 言ってしまってからすぐに後悔したが、もう遅い。
 僕は自分の苛立ちを、罪の無い少女にぶつけてしまったのだ。少女の好意に感謝さえせず、それどころか彼女を責めるような態度まで取ってしまったのだ。
「……意気地なし」
 少女は小さく、それでいてはっきりと呟いた。
 それは怒っているというよりも、激しい落胆の現れのように思えた。いや、ひょっとすれば単に軽蔑されているのかも知れないが。
「そんなんじゃ、どんな道を選んだとしても、自分に不本意な生き方しか出来ないわよ。それがお望みだと言うのなら、別だけど」
 僕は思いっきり自分を恥じた。こんなに自分の事を考えてくれている相手に、今の態度はあまりに酷い。自分の性格がどうのこうの言う前に、人間として恥じ入るべきだろう。
「どうも、あなたに私の存在は必要じゃなかったようね」
 違う、そうじゃなくて……!
 僕の心が悲鳴をあげる。だが僕の口はまるで僕の意志を受け付けようとはしなかった。
「僕は……」
「でも少しだけ、私の話を聞いてくれる? その後は姿を消してあげるから」
 そう言いながら、少女は流れるような動きで外に出た。時間はすでに夜半近くであり、少し肌寒い風が吹き流れている。
「例えば……」
 少女は夜空を指さす。
「空にきらめく星々は、あなたが産まれるより昔からその場所にいるわ。そして多くの人々に見つめてもらうの」
 少女の言葉は抽象的すぎて、咄嗟には理解できない。
「だけど、星自身はその存在を主張する事が出来ない。見つめてくれる人がいればこそ、星はその存在を主張できるわ」
 それから僕の顔を見つめて言葉を続ける。
「それは『神』も同じ。信者がいるからこそ『神』は存在し得る。誰も信じないというのであれば、『神』に存在する理由はないわ」
 僕は返事をしなかった。いや、できなかった。僕の目前の少女は、どう見ても僕より年下であった。にも関わらず、その言葉は僕のそれを遥かに凌駕していた。
 そのうえ少女は何か言葉では言い表せない雰囲気、強いていうのならば神秘的な雰囲気を漂わせていた。
 つまりこの瞬間、僕はこの少女にすっかり圧倒されていたのだ。不快感はない。何となく、それこそ不思議な事に、この雰囲気こそが少女の真の姿であることを、僕は本能的に悟っていた。
 そして、自分がこの少女の支えを必要としている事も。
「……わかってくれるかしら?」
 少女が僕にいくぶん挑戦的な視線を向ける。それは僕の心中に、別の好感をもたらした。
「そうですね……」
 僕は慎重に言葉を選びながら口を開く。自分の愚行の責任を果たさないといけない。それが最低限の礼儀というものだろう。
「今年中にもう一度試験があります。どちらにせよ、その試験は受けようと思いますから」
「そう」
 少し嬉しそうな表情で少女は頷いた。
「それなら、次の試験には絶対に合格させてあげる。それなら、あなたも神官になる気が起きるでしょ?」
「まぁ、それが夢ですからね。それにしても自信ありそうですね。なぜそこまで言い切れるんです?」
「あら?」
 今度こそ少女は満面に笑顔を浮かべて口を開いた。
「言わなかったかしら? 私はオデッセイ、その程度の慎ましい願いぐらいなら簡単に叶えてあげるわよ」
「……はぁ」
 僕はなんの気なしに空を見上げた。秩序と正義の象徴である『法の月』が青白い光りを地上に投げかけている。その神秘的な光景は、僕の心に微妙な影響を与えた。
「もし、神官になれたら……」
 そこで僕は一息ついた。自分自身の心を落ち着け、想いを整える為にもそれは必要な行動だった。
「……まぁ、突然こんな事を言うのもなんですが……」
 しかし、どうやらそれは無駄な努力だったらしい。頭の中で整った筈の想いも、口から出た瞬間には、意味のわからない言葉の羅列となっていたから。
「その……僕は、こんな情けない人間ですけど……」
 頭の中で血が逆流してるような錯覚さえ感じる。僕の目はすでに何も見ていなく、耳は音を聞いてはいなかった。
「つまり……つまり、ずっと僕のそばにいてくれませんか……」
 返事はなかった。僕がゆっくりと視線を戻すとそこに少女の姿はなく、ただ一陣の風だけが空しく中を舞っていた。
「……嫌われたかな……?」
 照れ隠しに頭を掻きながら、僕は呟いた。
 まぁ、それでも仕方がない。実際に嫌われても仕方がない事を僕はやってしまったのだから。
 とはいえ、その一方で寂しい気持ちが残るのも事実だ。
 しかしともかく今は試験の事だけを考えるべきだろう。軽くため息をついてから、僕は部屋に戻った。

 ……そしてそれから、少女が僕の前に姿をあらわす事はなかった。